猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

非科学的根拠

科学と宗教は違う方向から同じ頂点へと向かっているのだろう。

時には敵対したりまた時には交差しながら同じ頂点へと‥‥。

科学は得意げに神の領域を侵しながらも上り詰めてはいないので

大した言葉はそこには見つからない。

宗教もまた唯一を唱えながらそこに唯一の神は居ない

お互いに何かにコントロールされているだけのように見える

科学の分野も地球の薄皮にも届ないけれどいつも最新のように見えてしまう

何故科学するのか何故神を崇めるのかそこれがコントロールされた証明にのだろう

コントロールと言ってもそれは=支配されていると言う方が正解かも知れない。

この宇宙の広大な広がりをちゃんと理解していれば争いなど取るに足りない

ゴミのようなもの、そのゴミ一つにも競争するのはゴキブリ以下の脳なのでしょう

 

人以外の生き物は非科学的根拠の中で素晴らしい生き方をしている

それに比べると科学的に飛躍した人と言う特殊な生き物は科学に依って

その素晴らしい生き方を失ってしまったようだ。

計画性が有り過ぎて二進も三進も行かないのが悲しいだけ。

縋るのは宗教と科学だけ、そこに救い等あろうはずもない

あるのは下等な戦いと競争だけ

優劣だけの人生は死ぬことさえ満足に出来なくなっている

科学や宗教に委ねても命一つ満足に燃焼出来ずにいる。

 

病も何の根拠もあるようで無いものだ

一つ一つの個体さえ同一視してね

医者に行けばいくらでも病は見つけられてしまうけど

それは病ではなくただの個体差だと知るべきだろう

血圧いくら、体温いくら、全くそれは個体差の象徴であり

それで病と呼ぶには無理がある。

生あるものは何れ死す、ただそれだけ

その時間は個体差に過ぎないのだ

平均値を持ち出しても無理があるのはちょっと頭を巡らせれば

理解出来るはずだが科学に侵され麻痺してるんだよね

そう科学的根拠に基づく限り麻痺し続けるだけです。

 

平均寿命は考えず個体差だけだと捉えれば

50で死すも100で死すもどちらも同じなのである

そこに早い長いは存在しなくなるのだ。

血圧なども同様で「今」が全てただと知るべき

高い、低いではなく「今」がベストの状態だと知るべき

高くても低くても死ぬ時は訪れるのである。

病があろうとなかろうとその時は間違わずにやって来ます。

 

確かに医者に行けば高い下げねばいけないと言うでしょうが

それは個体差を認めていない証拠でもある

個体と言うものはいつも自己ベストに持って行こうと身体は動いている

そのバランスが耐えられなくなった時に死ぬのである

それはマラソン等での血圧や酸素濃度が変化するのと同じで

平均へと持って行けば走る途中で息絶えるのが正常という事になる。

身体、生命と言うのは不思議なものでどんな状態でも

自己の身体がベストへと向かうのである。

血圧が高ければ高い程、その個体はベストを尽くすための努力を

していると言う事でもあります。

体温もまた同様でその時のベストへと向かうため発熱したり低下したりするのが

当たり前の動きなのです。

冷たい水に長く浸かっていれば低体温、それもその時のベストへと

向かっているわけです。

その限度を過ぎた所が当たり前の話ですが死へと繋がる道でもあります。

数値はベストの状態へと向かう指標である事を知って置きたいものです。

 

死にゆくのにあがかせるのが医療でもあります。

当たり前に死ねなくなったら生きている意味さえ見失うことでしょう。

 

さあ今日も誰の手もかけず自己ベストへ向かいましょう

完全燃焼あるのみ。

永く生きたければ別の道を歩むのも自由です。

他己ベストで自分を失うのも自由です。

その先は同じ頂点なのだから。