猫写真を撮る時のスタイル
手前の缶ボトルを猫さんに見立てるといつもこんな感じで写しているのです
液晶を見るでもなくファインダーを覗くでもなく適当にカメラを猫さんに向けて
シャッターを押すだけ。
そんな事から画面から外れたりで没写真も出て来ます。
そんな中で写真の中で手にしているキャノンのコンデジが一番良い確率で
撮れると言うわけですね。
他のカメラだと同じ感覚で写すとハズレが多発します。
これは慣れしかないですね。
キャノンが手に馴染んでしまっているので他のカメラだと同じ感覚で持つと
微妙にレンズの向いた方向が違ったり、画角そのものが違うので
描いた猫さんと実際取れた写真が変わってしまいます。
雰囲気としてはキャノンのカメラだと少し肘を曲げた程度で写るものが
他のカメラだと手を一杯に伸ばさないと同じ感じにならないのです。
こんな感じなので猫さんとの距離が近い事から普段は望遠はいらないですね。
今日の猫さんロードです。
またくろとんと会えなくなったので少し逆へ歩きその後からいつものコースへと
戻しました。
ブログ書いてる時に施設の宿直から電話が入りました。
内容は3月1日と3月4日は17時出勤にして貰えないかという事でした。
もちろんOKです。1日と4日は21時出勤でしたが17時から21時まで僕が
出勤するまでの4時間の穴をうずめてくれる方でした。
自転車で転んでくるぶしを骨折したそうです。
明日は21時だったのでちょっと気を抜いていましたが性根が入りました。
さて続きです。
下に降りおかあさんの名を呼ぶと
子猫エリア横の墓所で
帰りも子猫エリアの近くを通りました
お堂では
帰りは近所の猫エリアを通って帰りました
非科学的根拠の見方からのコロナ状況
ワクチン治療薬と色々取りざたされていますが彼らが生み出すものは
科学的根拠なのでしょうがそれも不可解な部分が多いはずです。
昔なら今の厚労省と製薬会社はまるで親戚のような癒着でしたね。
癒着と言っても信頼関係のあるものではなく利害関係の癒着です。
よく治験などと謳っていますが僕の非科学的根拠を以てすると
いい加減なものです。
それが証拠に安全性なるものは存在しないと言う事になります。
人を物の如く捉えて治験しても物も人も同一のものは存在しないのです。
全く同一の物ならば治験のデーターは不動のはずですが個体は似て別なるものです。
クローン人間でも居てその同一個体のデーターならばその個体だけに限り
安全性を唱える事は可能です。
治療薬も同様です。
偽薬と正規のもののデーターと比較するのは科学的なようで
非科学的なのですね。
何を以て改善したのか自然治癒なのかや薬剤なのかを比較するにしても
科学的には無理があります。個体差がそこに存在しないからです。
まあその曖昧さが彼らにとっては罪悪とならないですけどね。
同じ個体で試せないのが治験結果です。
同一の物なら一時間後、二時間後、1日後、30日後全て同じ過程を辿るのですが
違う個体だと全て変わるはずですね。
私は1日で改善しただとか、私は3日だとか、効果なかっただとか
そんな曖昧さをひっくるめて良しとするのは曖昧だからです。
それは感染した時も同様です。
感染し3日間寝込んだとか、感染しても何も無かっただとか
中には一気に死に至ったとか後遺症だとか千差万別
薬をウィルスに置き換えてもそんなものですよ。
ウィルスと言う薬を使用したら熱が出た
同じく筋肉痛や頭痛だとかです。
全く平気な人は平気ですよね。
個体差が治験では不可能なのです。
従って人体実験は治験後認可された後から始まるのです。
僕らはクローン人間ではありません。
治験は認可に至るまでの仕事上の問題であります。
薬害訴訟が難しいのも曖昧が根本にあるのです。