猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

平等精神

僕のどこかに人は皆平等だと言う精神が強く根付いています。

しかしどこに行ってもその精神は封殺されてしまいます。

それでも僕の中では生きているのです。

人を見る時にその真ん中で見ています。

学校時代にクラブ等も先輩後輩の位置を平等精神のど真ん中で見つめて

いるんですね。親と子でも同じです。

先生と先生、先生と生徒、両親と親戚や近所の付き合いの在り方も

会社で上司と部下のやり取りの中でも冷静に見て来て

平等と言う精神を見た事がありません。

何でしょ‥、優と劣のような形しか見えないですね。

そこで平等とはどんなものかと一度は我に返り見て欲しいなと思います。

その精神から眺めると「おもてなし」なんて言葉も

平等精神からはありません。

される側とする側では、それが無いといけないようじゃね。

 

取り敢えず人を見る時に平等だと思うならば

肩書などのお札を全て外してください。

先輩後輩も金持ちも貧乏も関係なく同等の位置に並べて下さいね

そうすると社長にへりくだる必要も無い事がわかるし

自分が年上だと言う肩書も捨てれば簡単に平等、同等のはずですよね

おもてなしも含めて一歩下がると言う事は

自分を貶めている事がわかると思います。

 

僕が社会悪だとか悪の根源だと言われたりするのは

この平等精神だったと思います。

僕は後輩には先輩面もしないし命令口調もした事がありません。

平等、同等なのに見下したもの言い等出来る訳がありません。

平等精神の無い上司には自分からその位置で対等になるように

持って行くので嫌われるよね。

良い上司の元ではその位置へ自分を持って行く事は無いのですが

威張りくさって如何にも人を見下すような上司には

同じ気持ちを味合わせたくなるのです。

その為にはその上に行かなくてはいけません。

本来人は平等なのですがそれが欠け過ぎた人には

こちらから最低限同じ位置で同じ口調になるしか無いのです。

難しい言い方ですが

例えば「お前これやっとけ」と言われたら「お前がやれよ」のようなものです。

僕の価値観では心の通う人にだけ許せる命令口調だし友達ならいいけど

赤の他人に命令される筋合いはないのです。

例え後輩であっても心通じるまでは「お願いします」からです。

肩書があると困惑するよね。

 

回りくどいけれど

人は優劣で見るのじゃなく

平等の位置で見て欲しい、見てあげたいと言う事です。

例え社内でも社外でも年が上だとしても下だとしても

へりくだったり思いあがらない精神が大切だと思います。

人を大切にすれば仕事もそれについて自然に楽しく出来ます。

 

今の施設はその点楽です。

僕の仕事ぶりと平等精神が上手くバランス取れているのかも知れません。

全てお願いしますと有難うございますで頼まれるから

衝突する事がないのです。

職員は愚痴っていますけどね、僕に対しては許容が広く感じます。

それだけにちゃんと仕事しなくてはと自分に言い聞かせています。

 

肩書のようなものを取り払ったらみんなただの普通の人ですよね

政治家の口調や胸張った姿見ると笑いたくなってしまいます。