今日の猫とボヤキ

新しいブログ名です

命の重さ

命の重さは基本的には万物に於いて同じだと思います。感受性の強い僕達には人の命は重く虫等は軽く感じますが神の目から見ると同等に見えるでしょうね。

同等であって初めて命の大切さを知る事にもなりそうですね。

今日ニュースで中国でコロナに感染した猫三匹が殺処分されたと報じられましたね。

人から猫にはコロナは感染するそうですが

猫から人には感染しないとも言われています。

もし僕が感染してうちの猫さんに感染させたとすると罪の無い猫さんが殺処分なんておかしいよね。

まあ日本ではこんな展開にはならないと思いますが、命を同等とみなした場合は先に殺処分されるのは僕でないと整合性は取れません。猫の前にわしを殺せと言うしか僕の口からは出ないと思います。

 

僕は思春期の頃からこの整合性と言う事に対してよく悩みました。

言葉を変えると矛盾です。

矛盾をしない生き方を求めて色々と悩むわけです。そして常識には無い自分の答えを見つける事になります。

矛盾無き心、清い心、純粋、そんなところです。

悩んでも悩んでも自分の中で矛盾がうまれるんですね。

恐らくそのずっと先には「悟り」のような

心境が待っていると思います。

 

命を同等に思うことでむやみに虫などを殺さずに済むし、また同等に思う事でそれ等の命を頂き自分が生かされている事にも感謝の念が生まれるのだと思います。

 

神が居れば問う事でしょう。

猫を殺処分する前にお前達が殺処分された方

が理に叶うのでは無いか?

 

今、目の前に小バエが机の上を歩いています

僕にはやはり同じ命の重さに感じます。

殺す理由はどこにも見当たりません。

ゴキブリも床を這っていましたが

それもまた殺す理由は見当たりません。

殺すのと命を頂くのは次元が違います。

まあこんな事ばかり考えたりする僕なので

他人よりは矛盾の少ない生き方はしているつもりです。

 

余計な事ですが

ワクチン打たれた方の多くは

知ったげな人達と厚労省から

「大切な人に感染させないため、感染を防ぐ為にワクチン接種しましょう」と聞かされ、

インタビュー受けてもそんな答えが返っていましたよね。

故郷に帰るためにもおじいちゃんあばあちゃん、孫に会う為にだとかです。

マスクしていても感染しているし感染させている事がハッキリと浮き彫りになって来ましたね。

ノーマスクを非難する事も

知ったげな人達も含め整合性(矛盾)を取り辻褄を合わそうとしたら未来永劫マスク着用が望ましい。

そうでないと嘘をつく事になりますよね。

 

退屈しのぎにボヤきました。

もちろん仕事中です。