猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

裏猫日記

このブログのタイトルは「猫さんロードと裏猫日記」となっていますが

裏猫の紹介はたまにしかしていません。

そのたまにの裏猫さんも餌場を解除しました。

ブログタイトルはそのままにしておきます。

 

行方不明のデビくんを待つための餌場でしたが

色々な猫さん達が訪れました。

餌場の解除はチロさんの子供が引っ越して来た頃から

時を同じくして殆ど猫さんの出入りが無くなった事から

潮時かなと思い、カメラを取り外し餌の供給を辞めたのです。

 

この近くには一つの猫エリアと放し飼いと言うより

餌遣りの方が居るので、餌場を閉鎖しても大した影響もなく

また野生の猫さんとも随分親しくなり、猫さんが想像以上に

逞しく、本来の狩りの姿も見て来ました。

また自然淘汰の流れは酷なようだけど自然界のバランスを見事に

保っているようです。

彼等は巷の話の様に増え続ける事は困難な事も日々歩いて見れば

実感出来ます。

成長する前に殆ど淘汰されるようです。

それは自然界の見事な調和であり、可哀想だとか思う前に

当たり前の出来事なのですね。

鳥が昆虫など当たり前に食べているのと同様に動物たちは

より小動物の命によって支えられているわけです。

しかも自分の力と能力で生き抜く精いっぱいの生き方を

しているわけです。

そんな猫さん達をまるで良くないような捉え方をする人たちの方が

僕は恐ろしい。

単純に猫嫌い、清潔癖、潔癖症に過ぎないのではないでしょうか

糞をするから嫌だと言う、生き物の当たり前の姿を受け入れられない人達です。

また病原菌など不衛生もそうですが捉え方が歪み過ぎています。

人も動物も何れ死ぬのです。

生きる努力も大切ですが死を受け入れる努力も必要です。

無病で最後まで自然に死にたい人は、不衛生を嫌うでしょうが

殆どの生き物は汚れた水を食し消毒されていないものを

食べて生き延びているのです。

本来の人間もそのようにして今日へと生を受け継いできたはずです。

命の長さだけ伸ばしたって大した生き方ではないように感じます。

今日を精一杯生きる生き方が本来の生命の形ではないでしょうか

明日の貯えや、明日の予防のため生きるのは

精一杯生きているのではなく、我欲に近いものだと思います。

今の時代は心なんて大切にしているようで

全く大切にしていない事に気付いていない人が殆どだと思います。

動物虐待が殺人の始まりの入り口だと言われるのもそこにあるのでしょう。

餌遣り等もどちらかと言うと遣らないやってはいけないところから

始まる人はその先に子供を飢えさせたり厳しい躾が待っていると思います。

 

現在は心が失われ

知らない子にお菓子一つも与える事が出来ない時代です。

知らない子に優しい声一つかけられない時代です。

捨て猫を当たり前に拾って連れ帰るなんて時代ではありません。

何だかんだと理由付けて食べ物一つ野生の猫さんに与えられない

あなたは冷たい心になってしまった事さえ気づかないと思います。

与えないよりは

与える心が残されていれば人としての良心がまだ残っています。

 

近代化された心の持ち主は僕の言葉は伝わらないと思います。

僕らは猫さんに餌を与えないからと言って、それをたしなめたり

やりなさいよとは言いません。

あなた方はやらないでくれと言いますけどね。

 

またどこかで会おう猫さん達

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デビくん

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裏猫

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裏猫

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裏猫

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裏猫

白グレ=チロさんの事です。

チロさんは我が家にいます。