猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

死について

生と死はいつも隣り合わせなのに死は忌み嫌われるのは何故だろう

生きている人だけにもたらされる最後の瞬間でもあり

その先が見えないからだろう

時間軸に沿って考えると恐らく極当たり前の現象だと思う

その極当たり前の事に恐怖を覚え、死後の世界など作り出してしまうのだろう

 

時間軸を植物のツルのように時間軸は伸びて行き葉の一枚一枚が生命だと

例えればその葉が生まれ散り行くだけの現象だよね

そう考えると時間そのものが生命でもある

必要な条件はあなたがどの時点で葉として生まれ死に行くかだ

その位置関係があなたの人生であり他と変える事は出来ないよね

当然生まれる時期がどの辺りと組み込まれていれば

死の時期もどの辺りと決まっているはずです

 

太古の昔に居る訳でもなく、江戸時代に居る訳でもなもなく

今なんだよね。

時間軸はずっと過去から現在そして未来へと進んでいるけど

葉の一枚一枚は必要な時に生まれ必要な時に散り行く

散り方が死に方です。

誰が決めたと言うより決まっているのだ

それが運命と言うものだ。

 

大雨に田んぼが心配で様子を見に行く、そして事故に遭うと考えるのではなく

死ぬためにそうしなくてはいけない自分がそこに足を運ぶのだ

酷な言い方だけど暴走者が人を刎ねてしまうのも

そこへ足を運ぶ自分が決められたコースを決められた時間に

ただ足を運ぶのだ。

水の事故なども決められた運命に向かって足を運んでいるとも言える。

 

危険な場所へわかっているはずなのに行ってしまうのは

何故かと言うと、運命が導くあなたの最後の時と言う事なのだ

 

時間そのもの一部が我々なのだ、時間が止まらない限り

その時間軸の延長に私達は居るのだ。

 

決まった死に向かい最後まで抵抗したとしても葉は散るだけ

未練かあろうと無かろうと関係なく時間は進むだけ

運命は変える事が出来ないから良い事なのだ

変える事が出来てしまったら過去も未来も意味を失います。

 

努力してもしなくても個々の結果は既に決まっている

違うのはその価値観だけである

医者が最善の手を尽くしても決まった運命を変える事は出来ないのだ。

最善を尽くす側も決まった運命に向かっているだけだし

尽くされた者も決まった運命へと向かっているのだ

全てその流れが見えたならば時間そのものも無くなる事だろう。

見えない(わからない)事がどんなに有難い恩恵なのか

感謝しましょう。

 

これを目にする方

200年先にこの世に居ない事は明快ですよね

居なくなるのに今日を生きるのは見えない事がどれほど

生きる事を支えているかと言う証拠です。

 

運命は決まっていても良いじゃないか

死に方も決まっていて良いじゃないか

決まっている方が決まっていないより素敵な事だと思うよ。

決まっていなかったら永遠に漂うだけだもんね。