昨日義兄の葬儀も滞りなく終わりやっと一息ついた今日です。
これから色々と手続きなどでバタバタする日はもうしばらく続きます。
その手伝いも僕ら夫婦と弟、そして僕の子供達で支えて行く予定です。
姉の子は二人とも東京在住なので来週には東京へ戻ってしまいますので
後は僕らが動いて姉の子供達も心配しないよう力を合わせて行くつもりです。
今回感じた事は僕の子供達と僕の兄弟は結束力が素晴らしいなと感じました。
僕にとっても心強い味方です。
タイトルは「ルール、マナー、決まり事、体裁」僕の最も嫌う社会制度です。
そう言う意味合いにおいては僕は反社会派ですね。
葬儀の成り行きは喪主の姉家族が決めて行くのですが僕から見ると葬儀社は
単なる商売人でありそこにはルール、マナー、決まり事などが多く
そこにまた体裁ものしかかってしまいますね。
何だかんだと結構なお金が動いてしまいます。
決まりごとのようなものを取っ払えばそのお金も少額で済ませる事も出来ますが
ものの進め方はやはり商売そのものです。
僧侶へのお布施、僧侶を呼ばなければそれも不要です。
弁当も僕から見たら高すぎるだけのもので来た人が要らないと言えば
そちらも不要なのです。
それが中々出来ないのが決まり事と体裁などですねえ。
祭壇も花も要らなければも不要な金額です。
社会通念などで相場がどうのとなると体裁も考えるのが人の常ですね。
49日、1年、3年~ 決まり事を取り外せばそれも不要なんですけどね
この世の憐れと言うのはそれが中々出来ない社会なのです。
僕のような反社会派は出来ますが陰で批難されるのがオチですし
亡き人を送るのに僕のような人間は常識知らずで扱われる事でしょうね。
自分の時にはその常識外れを是非やりたい、やって見せます。
父母の時に出来なかった理想の形を遺言として残さないとね。
昨日葬儀の後に一族が久々集まったのでその話はしておきました。
直送、僧侶も呼ばない兄弟家族だけ、祭壇も遺影もいらない、骨も拾うな
死んだら笑え、それだけでいい。
それが僕を見送るには一番似合っています。
義父の時にそれに近いお葬式をあげましたが少し気にくわなかったとは思います。
陰で何と言われようと構いません。
義母がお金が無いと言うのでそれ相応にしただけです。
決まり事と体裁をある程度外せばいいだけ。
義兄の葬儀は家族葬に近いものでしたが互助会に入りながらも
100万を軽く超えていました。
僕も自分の父の時はわけのわからないまま従い軽く100万越えてしまいました。
そんな商売はどうかと思いますね。
合掌、礼拝、おなおり下さい。
まして法名、戒名も金次第なんだから坊主も要りません。