今日の猫とボヤキ

新しいブログ名です

過去記事からの抜粋 「5日で仕事を辞めた理由」

今の施設に勤める前に5日間在籍した施設があります。

それは知的障害児の施設でした。

 

長年社会で働いて来たけれど、今の老人施設に勤める直前は

契約社員として毎年更新しながら13年間勤めました。

そして契約解除と言う事から、最終職場は契約終了しました。

その後ある知的障碍児の施設へ面接に行きました。

そこでの就職はすんなりとその場で決まりました。

募集要項は

知的障害児(高校生以下)のおやつ介助と送迎と言うものでした。

僕は常識外れだし、人と接するのは大の苦手

社交性ゼロ、協調性ゼロの異端児です。会社行事等全てスルー

人と上手くやって行く能力なんてどこにも見当たらない。

 

おやつ介助と送迎ならどうにかなるだろう‥

いざ入って見ると、施設の要望は

ソーシャルスキルレーニングを担当して貰いたいとの事でした。

ソーシャルスキルレーニングとは大雑把に言うと

対人関係や集団生活を営みやすくするための技能(スキル)を養う事です

そう言う事を指導する指導員

僕の性格は上に記したように、周りと上手くやっていけない人なのです。

上手くやっていけない事で苦しみ悩みながら、自分に合う職場を転々として来た

仕事人生でありました。

トラッカー人生が長いのは僕の性格によく合っていたと言う事ですね

一たびトラックに乗ってしまえばそこに人間関係はありません。

あるのは得意先での接見の時だけほんの何秒間です。

会社行事にも参加しない事で人間関係は持たずに生きて来ました。

 

障害児施設を辞めたのは就職して6日目の朝でした。

つまり五日間しか在籍していません。

6日目出勤してしまったら人生は終わります。

自分の中で処理するのは五日間が限度だったと言う事ですね。

ストレス200%の五日間でした。

 

6日目の朝、上記の自分の性格等告げて(面接時にも説明はしていました)

これ以上出勤するのは無理だと言う事を了承して貰いました。

人と上手くやれなかった僕が、人と上手くやって行ける子を育てる

なんて頭の中がショートするよね。

 

 

つまり僕の描く世界はそんなものではないのです。

知的障害児をトレーニングして世の中に合すのではなく

世の中が知的障碍者をそのまま受け入れる社会です。

僕のような変わり者をそのまま受け入れる社会でもあります。

差別なくそのままのあなたでも社会の一員になれる職場

適材適所です。会社にあなたがいるだけで和むでもいいのです。

仕事は成果だけでなく全体の調和です。

強い者弱い者、出来る人出来ない人、それぞれが必要な形ね。

頭なんて切れなくても別にいいじゃない。

あんたの顔見るだけでホッとするだけでもいい。

 

まあそんなこんなで自分が破壊されるよりは身を引いた方が良し

猫さんだってそう、野良だからと区別する必要は無くて

社会が受け入れる心さえあればいいだけ

地域猫だなんだ恰好つけて愛護だなんだ

捨て猫を何とか不幸にならないよう里親探ししたりもね

社会が受け入れる形だったら、愛護もくそもなく

捨て猫だ野良だペットだの区分けもないはず

 

もっと生きる事の意味、大切にして思って欲しいものです。

家の中に居るペットは性別だってあってないようにしているしね

自然の摂理からいけばきっと反してるのは間違いありません。

今の世の流れを100%信じたら君も洗脳されてしまうよ。

世の中の正しい事はコロコロと変わりゆくものです。

 

どんな人もどんな動物も自然の摂理に従えば

ペットと言う言葉もなくなるだろう

まして子孫を絶やす行為はしないだろう。

猫一匹、犬一匹避妊手術してしまったら

その個体の子孫は未来永劫、耐えてしまう事

人間の都合だけで決めてしまったら凄く酷な仕打ちです。

 

巷の空気感からだとそれは当たり前だと思う事自体、狂っているのだ。

自然の生き物を区別するのはやはりどこか狂ってる。

 

形を変えりゃ、嫁ぐ嫁は避妊してから来なさい

そんな狂った事にも繋がる行為ですね。

 

話は逸れたかもしれないが

ソーシャルスキルレーニングしなくても

あなたに包容力あれば、みんなに包容力あれば

知的障害が例えあったとしても親御さんは安心していられるのだ。

それが叶わない世の中、それを叶えさせないあなたがいるから

ソーシャルスキルレーニングが必要だとしてしまうのだ。

 

ペットも野良も同様に区分けはされて野良の方が歩が悪いけれど

似た扱いを受けている、受けさせている事をお忘れなく。

生きると言う最低限の条件は子孫を残す事。

それを踏みにじるのは虐待の最たるもの。

知的障害児もお年寄りもみんなの包容力でありのままの姿を

みんなの包容力で補えばそれでいいと思います。

 

一部修正して過去記事を掲載しました。

 

僕は常識外れです。