猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

反する声は消されてしまう

メディアの声の多くは作られた(制作)されたものなのでその時の時世により

差支えの無い言葉が並ぶだけ、それは地域の意向であったり国の意向であったり

それに馴染む言葉が並べられるのである。

そのような流れに逆らう言葉は消されて行くのである。

語る言葉も制作されそれに従った言葉が並ぶわけで有って

語り手の本意はそこには無いのである。

語りたい事も制限された中での言葉の並びの中に何があろうか?

その中に真実はいつも闇に包まれてしまうのである。

営利目的のメディアは視聴率だけが全てあり言葉が文字となっても

それは同じである。

原発などの反の付くものはそれ自体が既に反対を唱えていると

謳われる反核、反社会、反ワクチンなど全てがそのような形で現れる。

何に対しての反なのでしょう?

社会を見る時に耳から入った言葉や目から入った文字を

形通りに受け取るのではなく心の真ん中で中立に考えるのが良い。

日々の常識や報道が正しいと思うのではなくもっと中立な立場で

何が正しいかを見出すような精神を持たないとロボット化されてしまうのである。

日頃培われた常識などリセットしないとそれは見えて来ない事でしょう。

 

若い頃はいつも言われていました。

「お前の考えは正しいしかし、それを口に出してはいけない」

それは多くの場所で多くの人に言われ続けました。

正しくとも社会の流れに沿った言葉しか語るなって事でもあります。

政治家を目指す熱血青年も正しい事は言わなくなります。

流れに沿った中で差し支えない程度の政策が限界だとも言えます。

テレビで語られるニュースも原稿を読むだけで終わるのが普通です。

原稿に書かれていない事を時にポロっと口に出す人も居ますが

それが正しく支持される方はお咎めが降りるかいずれその局から

フリーへと移行する事でしょう。

正しくとも言ってはいけない言葉を並べるとそこには居られなくなるのです。

新聞もチェックが入るので書いてはいけない事を書けば削除されるくらいのものです。

誤字を修正するならまだしも調べに調べて書いたものでも反するものは却下が

当たり前に行われるのですね。

 

週刊誌はゲスに近い者が多く売れさえすれば良いそれに目を血走らせながら

ゲス行動ばかり最低レベルの心の持ち主の集団でしょうね。

テレビの取材もその程度のゲスたちがうようよして事件があれば

我先にと走り回っていますね。

我が町で事件が有った時も色々取材を受けました。

誰かが怪しいと語るとそれを辿ってやって来るんですねえ

週刊文春や当時のみのもんたがやっていたワイドショーでよく見かけた女も

来ましたね。ゲスですねえゲスですねえ。

報道で顔を出しても良いかと聞かれましたが断りました。

流れたのは首から下と音声だけでした。

僕がその犯人だったら彼らは両手を挙げて喜ぶ事でしょう。

僕も不審者として取り上げられたようで刑事まで来ました。

笑いたくなるよね、僕はみなさん方よりはきっと正直者です。

 

コロナも過去最多の声は無視する方がよろしい

作られた原稿はその程度の流れです。

遠回しでも反する声は聞き逃さない様にしたいものです。

そちらの方がきっと中立です。

どこやらの駅伝の監督が少し疑問を遠回しに言ってたのが

心に残りました。

生中継でなかったらなるべくそれは言わないで下さいと窘められたかもね。