猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

奴隷

どの国も国民と言えば聞こえは良いけれど

ただの奴隷制度の下位に位置するのが奴隷と言えるでしょう

奴隷と言えば聞こえは悪くなりますけどね

その程度の階級でありそれぞれが優位を競い合って

安心すべき奴隷の位置関係を奪い合っているとも言えます。

士農工商もその典型でありそれぞれにメリットを与え

デメリットである奴隷と言う言葉を階級分けしているのが

この人類の特色かも知れません。

ふとそんな事を思い浮かべたり出来る人は幸せかも知れないです。

何の疑いも無く一生をこんなものだと暮らせる人もまた幸せかもね。

誰しも下位を作り下位が居る事で安心感のようなものを持つのかも

知れませんが、人として全う出来るのはそこから少しでも離れた所に

心を置く事が大切では無いでしょうか?

憲法基本的人権の尊重などと綺麗ごとを謳っていますが

どこにそんなものがあるでしょう?

あるはずがありません。あるとすればただの錯覚に過ぎません。

そう在りたいとの希望が全てであり実情の生活の中に在るものではないですね。

不老不死のようなもので永遠の命を謳うようなものです。

ただ永く生きるだけなら近未来には今の人類の力で少しは叶う事でしょう

でもそれは意味の無い人生になるのがオチです。

それよりは如何に生きたかの方が素晴らしい。

例え短い人生でも充実した時間を過ごした方が良いという事でもあります。

命を十年引き延ばしたところでそこに実が無ければ

ただ呼吸をする回数が増えただけって事でもあります。

価値観がしっかりしていれば死にゆく命を惜しむ必要はありません。

今日死のうと20年先であろうとも関係ないのです。

よく聞く『自由』と言う意味さえ理解出来れば

何年生きたかなんて意味もそこにはありません。

病であろうと事故であろうとお迎えが来れば逝けば良しです。

天命を全うするまでに奴隷である事を悟り

心がそこから遠ざかればいいだけ。

今の世界の流れからだと情報をカットしてしまえば

すぐ悟れます。

情報=雑念だから

情報でなく我が魂の声を聞けと言いたい。

自分が生きるのに何をすべきか何を得るべきか

我が魂の声を聞きましょう。

多くの雑念(情報)は本来不要なものです。

奴隷を養うための一手段もまた情報なのです。

明日死んでもいい生活をして行く事がベストです。

基本的人権

あなたが思うように生きられることが全て。