僕が中学生の頃はまだ仁保橋、黄金橋、東洋大橋、もちろん海田大橋、坂へ繋がる
広島大橋もまだありませんでした。
当時は府中町に住んでいてそんな事から魚釣りで坂や黄金山付近への釣りは
中々行けない事から向洋と言うところから渡し舟で黄金山の麓まで渡り
そこから手漕ぎの櫓船を借りて坂方面に行ってました。
渡し舟は人だけだと10円程度ではなかったかと思います。
自転車を積むと15円だったかそんな程度だったと思います。
櫓船は向洋でも300円で借りる事は出来たのですが、丹奈に渡ると
中学生だから150円でいいよと言う所があり渡し舟で渡っても安くつき
また友達4人くらいで行くと一人50円でもおつりが有る程度でした。
当時の海はまだ綺麗で底の様子を見ながら釣れる感じでした。
初めて漕ぐ櫓船は殆どの人は真っすぐ操れず最初はグルグル回る感じですが
一度コツを覚えると小学生でも操れるものです。ボートと違い片手でも操れるところが
良かったですね。
半世紀も経つと地形も変わるものですね。
僕が人生の内で一番良かったのもこの当時の記憶です。
また僕の心もこの時間で止まってしまい今でも子供の心がそのまま残っています。
この頃から大人にはなりたくない、大人にはなれないと思っていました。
何故なりたくないのかそれは皆さん方の心に問うて見て下さいね。
今も思春期の心を忘れずに宿しています。
それが無くなったら僕の人生は無いのと同じでしょうね。
人はもっともっと素直に純粋な心でなければいけません。
テレビの報道、メディアなどはその心が失われています。
心の無いものに魂は宿る事はないでしょうね。
視聴率や非難を浴びない様に狡く報道し続けると真実もまた隠されてしまいます。
差別の無い平等の世界になる為には自由と言うものがどんなものであるか
悩まなくてはいけません。
報道もメディアもあまりにも束縛(規制のようなもの)が転がっていて
真実さえ語れない状況下にある事を踏まえて御覧になると良いかと思います。
ありのままを伝えたくても消されたり編集されたりするのが
目に見え、耳にする事柄なのです。
その見えない部分の言葉を感じ取るのが大切ですね。