猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

古き良き時代

僕らの子供の頃は素朴で良い時代でした。貧しくとも人の心が繋がれていて

隣近所はみな知り合いのような感じでした。

戦後間もなくして生まれた子供たちは貧困の中でも逞しく育ち

高度成長と共に日本は壊れて行ったように思います。

復興再建の道は貧しくともそれなりに幸せ感もみんな持って居た事でしょう。

肉一つが贅沢で、バナナやパイナップルはいい所の坊ちゃんでないと

食べられないような時代です。

米が食べられない時は団子汁やおかゆだったりの時代です

学校に行けば何日も着古したような服を着た子供も沢山いて

垂れる鼻水を袖口で拭いテカテカになって居た子も居ました。

今のようにファッションや遊びにお金などかける余裕もない家庭が

沢山いるわけです。

余裕が無いからこそ遊びやファッション等必要としないので

それはそれで当たり前で十分幸せを感じる事が出来たのでしょうね。

 

思春期から青春時代にかけて高度成長の勢いは良く

そのしわ寄せが現代に繋がっているような気がします

物の無い時代、経済的に苦しい時代に幸せを感じられたのは

良かったなと思います。

今のような飽食の時代なんてとても夢の世界です

そんな時代を生きて来たので幸せの感じ方は現在の若者とは

きっと価値観も違うでしょうね。

高度成長はまたグローバルな社会にへと向かいました

それが良かったなんて僕には全く思わない

輪は広がれば広がるほど保つのは難しく不自由にも思えます。

 

人の心が壊れ始めたのはスーパー、コンビニの進出から始まったように

思います。

僕らの子供時代には無い経済の仕組みでしたね

町内にあると言えば小店くらいなものです

日常会話で物が買えるお店ですね

私語が飛び交える場所でもありました。

スーパーやコンビニでは見る事が出来ないシチュエーションです。

「○○ちゃんおかあさん元気?」

「○○さんええかっこしてどこ行くんね」

こう言う何でもない会話が知らず知らず感性を育んで育つわけです

管理社会では禁句

禁句こそが心の繋がりの第一歩なんですが

その時代に育っていない人は心無い「いらっしゃいませ」と

心無い「ありがとうございました」を聞かせ続けられて行くわけですね

現代人が人間性欠けてしまったのも無理ないですね

管理社会の言葉には心がこもっていないから

感性が豊かになる事は無いでしょうね。

 

新型コロナの対応もそこに心があるとは思えません

管理社会で培われた心のこもらないマニュアルを展開しているだけですね

落ちたものを服で拭って食べた時代の感性があれば

面会禁止などと言う措置は取らなかったでしょうねえ

自粛なんて事もなく感染しないよう心掛けるくらいで

感染したらしたで右往左往は無いと思います。

まるでインプットされたロボットの政治の中に居るみたいです。

 

人の命を必要以上に大切にしても幸せはやって来ません

明日死ぬ人を一か月命を延命してもそこに幸せなどあるはずもありません

不思議ですよね国って、国民って何だろうと思ってしまいます

都合で爆弾積んだ飛行機を命ごと船に体当たりさせたりね

都合で命大切にと言ったり支離滅裂です。

 

大切なものが何なのかとうに忘れ去っているのでしょうね

 

文明の光の届かないところにいる人間が一番しあわせでしょうね。