先日の記事愛宕神社がその後僕の生活の一部になりました
赤いものは何だろう?それが2009年
そして2011年に神社だと解った事、無信仰と神が出会う事になって
よくぞ足を運ばせたものだと思った時に脳裏に浮かんだものは
そう言えば我が町にも神社や祠みたいなものが幾つかあったなあ
それはウォーキング等で見かけたくらいで気にした事はありませんでした。
そこからその幾つかの場所を歩いている内に、まだ知らない社などあるのかな?
町の史跡めぐりのようなものをネットで調べると22社程度が記されていました。
その社を回っている内にブロガー等が目にしたネットに記された以外の社などが
紹介されたりしているのを見て全て合わせると30を超えるものでした。
最終的には34社となりましたが探すのも大変、行くのも大変でした。
この34社を探すのに2011年~2017年もかかってしまいました。
無信仰の僕に対して愛宕神社が与えてくれた行動でもあります。
その中で興味深いのが大年社と愛宕神社の標石でした。
大年社は誰に聞いてもわかりませんでした。
他の神社等は2011年~2014年に解ったのですが
大年社だけは名前はあれど誰に聞いても解らず
2017年に公民館に出向いて町の歴史のような古い書物を公民館の方が
持ち出して、もしかしたら此処に記されているかも知れませんと
貸し出してくれました。
その中にあったもの
この見えにくい写真が決め手となり判明したのです
それは社跡と言うものでした。
そこに60年住んで居ると言う方も知らなかったのです。
直接聞いたのですが僕に言われるまでその認識はなかったようです。
昭和、平成時代に跡となったものは幾つかあり記録もありましたが
大年社はもっともっと古い時代に建屋が無くなり文献の一部にはありましたが
知る人があまりにも少ないのでしょう。
畑仕事の老婆だけが大年社と言うものは知らないけれど
そうだとすればあの石垣に囲まれたところではないか?
と言われました。それは周りの家の石垣とは明らかに違う石組だからと言うものでした。
その後公民館の古い町の歴史の不鮮明な写真と手書きのような地図と照らし合わせると
その老婆の言っていた場所と一致したのです。
愛宕神社は2011年から登り始めたのですが、2014年には既に30社くらいは
周ったと思います。
2014年愛宕神社に行く途中気が付いたのが標石と言うやつです
これは参道で愛宕までの道しるべのようなものだそうです
八があるのならと他のものもあるはずと調べる事になりました。
石垣が組み直された後しばらくは道端に立ててあったそうですが
いつの間にか無くなって居たと言われていました。
近くの人が案内してくれたのですが、あれっ?ここにあったはずだが
いつの間になくなったんだろう、そんな感じでした。
普段は気にする事はないので気が付かない内に撤去されたのでしょうね。
五丁は三年くらい前に無くなりました、畑が建売住宅となり
石垣そのもの無くなっていました。
そして最初に目にした八丁
愛宕神社は参道入口から愛宕まで一丁~十五丁まであったそうです。
無くなったものはどうなったのでしょうね?
2011年に愛宕神社と出会い標石そして他の社など
色々と歩かせてくれました。
無宗教なので気楽に付き合えます。
手合わせ要らず、拝む必要も無し、賽銭も不要
愛宕社とは友達のような関係です。
以心伝心の関係ですね。
たまに手合わせしたり賽銭入れる事もありますが
それはただの恰好でありそこに心はありません。