猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

私はロボットではありません

私は私ですロボットではありません

生まれる前も死んでからも私は私です。

 

思春期の頃同級生が野球部に入り先輩に「ちわっす!」と並んで

頭を下げていました。

どうみても地位の低い人が地位の高い相手に対するような挨拶

大人を見ると同じようにどちらが上か見分けが付くような接し方

先生も同じようにその差がわかるような接し方

僕にとっては大きな大きな違和感でしかありませんでした。

父からは強い者に立ち向かう事を教えられた弱い僕

弱さ故に強い者に立ち向かう勇気を悩み続けていました。

父はとても恐い存在でした。

軍人上がりでスパルタ方式の様な教育、弱い所を見た事がありません。

とてもとても超える事の出来ない存在でした。

しかし今時の権力による傲慢さ等は一欠けらもありません。

当時の僕の家庭を現在の人が見たら虐待に見える事でしょう。

しかし違うのです。

父は人の言いなりになるようなロボットではありませんでしたから

正しい事は相手を選ばず言葉を出して居ました。

相手が偉い人だから言うのは辞めておこう

入れ墨かましているからヤバいから言うのは辞めよう

そのような生き方はしていなかったのです。

軍隊では目上であっても良くない事は良くないと上官に対して

どんなに殴られても引く事はなかったと言います。

それは元軍隊で父を知った人からもよく聞かされました。

顔が腫れあがるぐらい殴られても引かなかったと言います。

そう言う父の背中を見て育った僕はまだまだそこまで到達はしていないけれど

精神的には似た構造になっています。

 

成人してトラッカーになった時、街中を走っている時

サラリーマンの同じようなスタイルをした群れが通勤している姿を見た時

ロボットにしか見えなかったのは今でも鮮明に覚えています。

父の教育の元で育った僕にはそう見えたのです。

その時思ったのはロボットにはなりたくない、そんな感情です。

父の魂がロボットにはなるなと声をかけたのかも知れませんね。

 

今の仕事でも自分から進んでやれることはどんどんやっています。

それは自分が楽をする為ではなく後の人が少しでも楽になるように

自分の仕事以外の段取りなどしたり、既にある記録簿のような

書類をもっと便利に効率的に出来ればと言う気持ちから手直ししたりです。

自分の評価の為では無いのです。他の人の為に出来る事です。

これまでもどの会社でもやっていました。

それを煙たがったりやり過ぎだと思われる事もありました。

そう思う人はロボットです。

みんなが少しでも楽になるようにする為にした事でも

ええところ見せようとしているだとか、あんたがやったらほかの者が

仕事せんように見られるだとかね。

ロボット思想はバランスを取る事が協調性であり和なんですね。

表面的には5+5=10の差しさわり無いバランスだよね。

僕の思想は10なので誰かが1でも誰かが9でも答えは同じ

こいつは3しか出来ないからつまらんとか駄目だとかの感覚じゃないのです。

みんなで10あればそれでいい。

手を抜いた5より一生懸命の3の方が尊い

みんなで満たせばいいだけ。

上手に世の中渡る精神は教えて貰っていません。

 

猫さんは人間の様な知能はありませんが

無い事の方が見習うべき事が多いです。

子育て生き方は全て親の背中見て育つしね

正直で偽り心もなくて在りのまま生きている。

 

人間社会に於いて僕は非常識者だけどそれで良しとしています。

こちらから見る人間社会は非情識社会に見えてしまいます。

個を認めないロボット産業よりは猫社会、生き物社会の方が

理解しやすいね。

 

競争原理は破壊しか生まれません。

私はロボットではありません。

ロボットに見られない人生送って下さい。