猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

今日の猫さん

今日は夜勤帰りにそのまま姉の家により東広島へ行く予定でコンビニで朝食を買い

そこから姉に電話を入れ今からそっちへ行くよと伝えると僕を気遣ったのか

息子が行ってくれるから大丈夫との事で猫さんロードを歩く事にしました。

息子が「僕がJRで行くから大丈夫、おじちゃんは夜勤明けだからゆっくり寝て下さい」

そんな流れと変りました。

 

 

          愛宕神社(愛宕社、権現さん)

             一路家路へ

 

先日登った愛宕神社 100歩、歩いては休憩なんて情けないですね

タバコの影響で元々心肺機能は弱かったのですが糖尿の薬を服用する頃と

ダブってその心肺機能が大きく弱った事から長年の喫煙生活がここに来て

大きく影響が出たのかそれとも薬か?

色々調べるとこの薬の副作用で間質性肺炎と言うものがあり

症状としてはこれに当たるような気がして来ました。

上手く酸素が取り込めない、普通の肺炎とはまた違うようですが

なんせ15歳からの喫煙歴があるのでこちらの影響が今来ていたとしても

不思議は無いですね。

昨日採血したので次の土曜日にでも結果を聞く予定なので

医者と話をしてみたいと思います。

忙しい日が続きそうだ

今日は自分の病院へ行く日でもあり

また、17時から夜勤と云うこともあり

このところの体力を考え猫さんロードを歩くのはやめることにしました。

階段上がるだけで脈もすぐ100を超えるから

昨日のように急勾配の山道はまともには歩けないですよね。

久久に胸のレントゲン取りました

もう15年は撮ってないだろうな

息切れが激しいとのことで撮る事になりました。肺の下が白くなっていてそれだけ分

吸い込む空気の量が少ないのだろうとの事、

容積が狭くなってるみたいですが原因はまだ

不明ですね。一ヶ月後にまた来てくれと言われました。

変化によつて肺活量やCT検査へと向かうようです。

薬も一つ減らして貰いました。

僕は薬はなるべく服用したくないので

今は糖尿が酷いのでその一つだけにしてもらいました。

改善してきたらこれも辞めたい事は伝えてきました。あまり無駄な薬を出したり無駄に検査はしない先生なので助かります。

僕自身は何れ死に向かうので無駄に延命するより自然の流れに任せて素直に逝きたいなと思っています。

人が作り出す流れには乗りたくないですね。

 

 

 

明日は姉の用事で東広島へ出向くので

明日も猫さんロードは無理かもね。

夜勤明けにそのまま姉を迎えに行って東広島へ行く予定です。

寝るのは帰ってからですね。

体力が残っていれば歩きたいのですが

しんどさが勝てばのんびりと家で過ごします。

今朝も病院から戻ってズボンを履いたところでしんどさが勝ってしまいました。

そしてズボンを脱ぎ昼食食べた後は

姉から電話があったときも寝ていて娘が2階から降りてきて電話を取り起こされた流れです。

ひたすら寝てしまうような感じでした。

寝るのが苦手だった僕ですが妻からの電話で

お迎え時間もすっかり寝てしまっていました。これも娘が気付き「かあさんもう駅に着いとるだって」

 

そして夜勤では食事中お年寄りの異変に気付き管理者を呼び救急車を手配してもらい

管理者の病院からの電話では「処置が終わったら患者を施設へ連れて帰ってくれ」と

言われ、待っていましたが2度目の電話で

「結局入院となりました」とのこと。

そうだろそうだろ簡単に施設に戻されたら

朝まで心配が続きます。 

原因はよくわかりませんが唾液が異常に垂れ流れ、粘度が高く箸でグルグル回しているのを見て何を食べてるのだろ? 納豆でもないしと見ていたらぐるぐる回していたのは口から出てくる唾液を取ろうと回してきたのです。 止まることなく出続け、その内、胸が苦しいとなり救急車なんだから原因を突き止めてから安心な状態で戻って欲しいものです。

 

愛宕神社そして猫

妻を7時に見送りその後、娘を8時に見送り家に戻り一息ついてから毎年恒例の

愛宕神社への初詣ならぬ愛宕神社へと出向きました。

2011年に初めてこの神社へ出向いた時、何も知らずに足が向きました。

赤い建物はなんだろう? ただそれを確認するための事でした。

僕自身は信仰心も何も持ち合わせておらず青年の頃に初めて意識して初詣と言う

儀式?に出向いた年に母が亡くなりました。

その時思ったのは信仰心もない者が行くところでは無いなと感じそれからは

ただの無信仰者を今も続けています。

この愛宕神社が何なのか赤いものは何なのか興味深々で道も分からないまま

適当に登って鳥居が見えた時に神社なんだと分かりました。

よくぞ信仰心の全く無いわしをここまで登らせたものだ

そしてこの年から毎年一度は登る様になりました。

愛宕神社=こいつ

こいつと会うためにただ毎年登っています。

う~ん、しかし僕の体力はもう登れなくなる日も近いかもね

最近も息切れが激しくどうかなもう無理かな?そんな思いもありました。

100歩歩き、休む、来年はどうだろ?

それ以上歩けないのだ、去年までとは違う身体の状態でした。

そろそろここに来るのも限界かな?

始めて登った時もとてもきつかったのを覚えています。

歩くペースが分からないことも有りリュックにカメラ、ビデオ、三脚を

担いで息も絶え絶えでした。その後はペース配分など考えて昨年までは

結構いい感じで、もう着いたのか程度でしたが今日は荷物も持たず

身軽で行きましたがペース配分もくそもないほどゆっくりなので

時間はかかるとは思いましたが100歩歩いて止まる何て事は考えていませんでしたが

現実は厳しいですね。

 

午後は猫さんロードです。

 

 

 

ルール、マナー、決まり事、体裁

昨日義兄の葬儀も滞りなく終わりやっと一息ついた今日です。

これから色々と手続きなどでバタバタする日はもうしばらく続きます。

その手伝いも僕ら夫婦と弟、そして僕の子供達で支えて行く予定です。

姉の子は二人とも東京在住なので来週には東京へ戻ってしまいますので

後は僕らが動いて姉の子供達も心配しないよう力を合わせて行くつもりです。

今回感じた事は僕の子供達と僕の兄弟は結束力が素晴らしいなと感じました。

僕にとっても心強い味方です。

 

タイトルは「ルール、マナー、決まり事、体裁」僕の最も嫌う社会制度です。

そう言う意味合いにおいては僕は反社会派ですね。

葬儀の成り行きは喪主の姉家族が決めて行くのですが僕から見ると葬儀社は

単なる商売人でありそこにはルール、マナー、決まり事などが多く

そこにまた体裁ものしかかってしまいますね。

何だかんだと結構なお金が動いてしまいます。

決まりごとのようなものを取っ払えばそのお金も少額で済ませる事も出来ますが

ものの進め方はやはり商売そのものです。

 

僧侶へのお布施、僧侶を呼ばなければそれも不要です。

弁当も僕から見たら高すぎるだけのもので来た人が要らないと言えば

そちらも不要なのです。

それが中々出来ないのが決まり事と体裁などですねえ。

祭壇も花も要らなければも不要な金額です。

社会通念などで相場がどうのとなると体裁も考えるのが人の常ですね。

 

49日、1年、3年~ 決まり事を取り外せばそれも不要なんですけどね

この世の憐れと言うのはそれが中々出来ない社会なのです。

僕のような反社会派は出来ますが陰で批難されるのがオチですし

亡き人を送るのに僕のような人間は常識知らずで扱われる事でしょうね。

自分の時にはその常識外れを是非やりたい、やって見せます。

父母の時に出来なかった理想の形を遺言として残さないとね。

昨日葬儀の後に一族が久々集まったのでその話はしておきました。

直送、僧侶も呼ばない兄弟家族だけ、祭壇も遺影もいらない、骨も拾うな

死んだら笑え、それだけでいい。

それが僕を見送るには一番似合っています。

 

義父の時にそれに近いお葬式をあげましたが少し気にくわなかったとは思います。

陰で何と言われようと構いません。

義母がお金が無いと言うのでそれ相応にしただけです。

決まり事と体裁をある程度外せばいいだけ。

義兄の葬儀は家族葬に近いものでしたが互助会に入りながらも

100万を軽く超えていました。

 

僕も自分の父の時はわけのわからないまま従い軽く100万越えてしまいました。

そんな商売はどうかと思いますね。

合掌、礼拝、おなおり下さい。

まして法名、戒名も金次第なんだから坊主も要りません。

 

 

猫達

1月1日深夜から1月2日にかけて身内に不幸がありました。

深夜から病院へ出向いたり看取りを含め大変疲れた状態の年始めとなっております。

世間一般で言われる不幸と僕の概念は違うのですが亡くなった事が不幸ではなく

どちらかと言うとこの世に取り残された僕らが感じる感情が不幸であり

見送られた人にとっては最高の安泰であります。

これから取り残された僕らに託された見送られた人の思いを大切にする事が

幸せへの足掛かりとなります。

見送られる人の気がかりは愛する家族の事です。

気がかりを残したままこの世を去っていくわけなので泣いてばかりでは

前に進む事が出来ません。

その思いを取り残された僕らが遂げるただそれだけです。

 

新年早々、葬儀場もたてこんでおり、本来ならば今日が葬儀のところ

一日延びてしまう始末です。

一日延ばしてでも客を取り込みたいのがこの世の憐れですね。

より高くより沢山の収益と共に一日延ばされた時間を僕は今歩んで居ます。

もちろん今日の夜勤は取りやめ通夜へと向かいます。

 

今朝はこれから姉と姉の子達を迎えに行き葬儀場へと連れて行く予定です。

この葬儀場も取りあえず行き場が無いための借りの別会館である事から

通夜までには本来行くべき葬儀場へ移る事になります。

 

さて今日の猫さん、明日の猫さん、落ち着くまでしばらく歩きません。

猫好きな方は僕の気がかりを解消してくれるよう願います。

生き物は大切に、人の心も生き物の心も大切にしていれば

この世に気がかりが残されても取り残された僕らが居る限り

解消出来るはずです。

猫さん達よろしくね。

 

成就していかなければならないのは取り残された僕らの使命です。