猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

マルチトラックレコーダー コルグD3200の理想形

前回も少しこのレコーダーの話をしましたが、僕の頭にある

MTRの理想形は昔のMTRカセットレコーダーを基本とした構成と言うのか

ディスプレーが無くてもオープントップ面で直観的に操作出来るのが

理想形でした。

今日のMTRDAWのようなパソコンと連携させる形をとっていて

それが前提に来ると、MTR単体での完結はとても不便です。

DAWソフト等に圧された分だけ省略されてしまい

パソコンとの連携を意識し過ぎ、中途半端なMTRとなってしまいました。

 

もっとDAWから離脱した本来のMTRをもう一度作って欲しいものです。

またデジタル化が進み過ぎ、大切な作業面まで省略化が進み

使い勝手はむしろ良くないように思います。

 

さて本題です

この度コルグD3200と言う過去のMTRを入手しました。

本当はコルグのD16DXD程度が欲しかったのですが

ちょっと良いのが見当たらなく、ヤフオクでD32XDが出ていて

説明が足りないので質問したところ3度とも返答がなく

それは売れ残りながらもう3度か四度再出品されていて

3度目の頃に突然返答が来ましたが、その返答待ちでしびれを切らし

諦めて既にD3200を入手した経緯があります。

もう少し返答が早ければそちらを購入したのではないかと思います。

時は既に遅しです。

操作面は似たものだと思います。

 

D3200

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D2300

少し使用してみて感じた事

ディスプレー操作が主体なのにディスプレーが僕にとっては小さ過ぎ

老眼の目では凄いストレスとなります。致命的なものを感じました。

 

過去ティアックも使いましたが、いちいちトラックへのアサインが手間だなとは

感じましたがちょっとした操作なのでちょい手間程度

ZOOMその点アサインそのもの始めからしなくても出来ているので

楽そのもの、コルグはいちいちディスプレーで小さな画面に老眼酷使でした。

無駄な労力(老眼にとって)

特にギター録音が多いので、ギター専用のインプットはそうなります。

これならちょい手間だけど1~12のインプット差し替えた方が老眼の僕にとって

楽です。

そこで理想の形を絵にしてみました。

こうだったらいいなの理想形です。

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D3200の理想の形を絵にしてみました

PANやイコライザーなどは呼び出しでなく過去形のアナログ

アサインはボタン一つ、ディスプレーは15インチ程度

これなら老眼でも手早く出来るし、画面も大きければ

理解力も増します。

 

絵を探している内に海外のもので改造したのか大きなディスプレー取り付けた感じの物がありました。パネルの裏にDsubらしきものが取り付けられていました。

同じ様に考える人いるんですね。

 

MTRMTRで独立路線を歩んでいたら最終的にはデカくなっても

こう言う形へ進化したのじゃないかと思います。

 

過去PC連携も多少考えてZOOMのR24を購入しましたが

省略機能が多く手放しました。

24トラックとはいえ、単体では8トラック以上動かすのは

とても扱えないし、まだ8トラの方が充実しています。

手放した事、少し後悔もあります。

ZOOM とても全般に扱い易い。

 

現在ZOOM 手元にあるのはMRS-1266 MRS-1608 HD16です

一番手に合うのはMRS-1266 MRS-1608です。

コルグD3200はどこまで理解出来るかわかりませんが

場合によっては手放す可能性があります。

 

 

死について

生と死はいつも隣り合わせなのに死は忌み嫌われるのは何故だろう

生きている人だけにもたらされる最後の瞬間でもあり

その先が見えないからだろう

時間軸に沿って考えると恐らく極当たり前の現象だと思う

その極当たり前の事に恐怖を覚え、死後の世界など作り出してしまうのだろう

 

時間軸を植物のツルのように時間軸は伸びて行き葉の一枚一枚が生命だと

例えればその葉が生まれ散り行くだけの現象だよね

そう考えると時間そのものが生命でもある

必要な条件はあなたがどの時点で葉として生まれ死に行くかだ

その位置関係があなたの人生であり他と変える事は出来ないよね

当然生まれる時期がどの辺りと組み込まれていれば

死の時期もどの辺りと決まっているはずです

 

太古の昔に居る訳でもなく、江戸時代に居る訳でもなもなく

今なんだよね。

時間軸はずっと過去から現在そして未来へと進んでいるけど

葉の一枚一枚は必要な時に生まれ必要な時に散り行く

散り方が死に方です。

誰が決めたと言うより決まっているのだ

それが運命と言うものだ。

 

大雨に田んぼが心配で様子を見に行く、そして事故に遭うと考えるのではなく

死ぬためにそうしなくてはいけない自分がそこに足を運ぶのだ

酷な言い方だけど暴走者が人を刎ねてしまうのも

そこへ足を運ぶ自分が決められたコースを決められた時間に

ただ足を運ぶのだ。

水の事故なども決められた運命に向かって足を運んでいるとも言える。

 

危険な場所へわかっているはずなのに行ってしまうのは

何故かと言うと、運命が導くあなたの最後の時と言う事なのだ

 

時間そのもの一部が我々なのだ、時間が止まらない限り

その時間軸の延長に私達は居るのだ。

 

決まった死に向かい最後まで抵抗したとしても葉は散るだけ

未練かあろうと無かろうと関係なく時間は進むだけ

運命は変える事が出来ないから良い事なのだ

変える事が出来てしまったら過去も未来も意味を失います。

 

努力してもしなくても個々の結果は既に決まっている

違うのはその価値観だけである

医者が最善の手を尽くしても決まった運命を変える事は出来ないのだ。

最善を尽くす側も決まった運命に向かっているだけだし

尽くされた者も決まった運命へと向かっているのだ

全てその流れが見えたならば時間そのものも無くなる事だろう。

見えない(わからない)事がどんなに有難い恩恵なのか

感謝しましょう。

 

これを目にする方

200年先にこの世に居ない事は明快ですよね

居なくなるのに今日を生きるのは見えない事がどれほど

生きる事を支えているかと言う証拠です。

 

運命は決まっていても良いじゃないか

死に方も決まっていて良いじゃないか

決まっている方が決まっていないより素敵な事だと思うよ。

決まっていなかったら永遠に漂うだけだもんね。

 

 

8月8日の猫さんロード

この日は沢山の猫さんと出会い、写真をトリミングしたりはしていたのですが

夜勤に出かける前までには間に合わず掲載しませんでした。

この日も近くの猫さんエリアから登ったのです。

そして出かける時にチロさんが既に勝手口で待っていたようです。

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チロさん

フラッシュで赤目になってしまったので色を変えました。

チロさんを家族に任せ僕は出かけました。

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おにいちゃんです

ずっと会えなかったおにいちゃんですが、この日また会えたのです。

 

子猫達のエリアに行くと、沢山でてきました。

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子猫エリアの猫達

一番手前がどくちゃんです

 

そして

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ドラさん

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まろさん

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クロさん

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クロさんどくちゃんのおかあさんです

これだけ会えるのも珍しいことです。

写真に撮れなかった子猫エリアの猫さんも二匹いたので

いい猫さんロードとなりました。

 

 

次の写真は今日のチロさんです。

 

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チロさん


子供を産んでからは朝一度来ると翌朝まで来ないのですが

今日は夕方も来てくれました。

 

子供を産んでから二度訪れたのは今日で三度目です。

子育て少し落ち着いたので空腹を満たすため来るのでしょう。

知らんふりはもう出来ません。

来る者拒まずで迎え入れます。

 

チロさん

子供が育っていれば多分此処に来る事でしょう。

誰かが可愛いと連れて帰ってくれるかも知れないし

ここへ我が子を連れてくるかも知れません。

来ればこれも絆です。

どうにかしましょう。

 

何となく居場所を突き止めました、人が入れるような場所では無いが

入って行くところを目撃したので間違いないと思います。

 

今日も猫さんロードはお休みしました

昨日今日と二日続けてのウォーキングを休みました。

昨日は昨日で娘の送迎などで早朝歩けなかった事と今日は夜勤明けで

巷では盆休みに入った事も有り猫さんロードそのものが墓所なので

早朝からずっと人が多く、迷いながらも取りやめました。

薄暗い内に行ける時を狙って行こうかなと思います。

詮先日は早朝6時前に出たのですが、人が結構いて猫さんは

殆どどこかに散らばっていました。

 

猫さんに対しての価値観も人それぞれですが、営利が絡む事で

悪くもない生き物たちが悪の対象になっている事を少しは考えて欲しいなと

思います。外来生物を含め、色々な野生の生き物が悪とされたりしますが

その裏には営利の匂いが漂っています。

悪い悪い悪い事ばかり並べて悪となるのでしょうね

知らず知らずそれは脳の奥に入り込んで悪いものだと思い込むのでしょう。

食用の家畜などの命は惜しまず良いものとして大量殺戮だし

誰もそれを止めるどころか自ら好んで美味しい事しか

考えていないかも知れないですね。

 

営利と言うものが如何に人の心を狂わせ乱すのかも考えて欲しいところです

地球温暖化もエコの言葉で包み隠すエゴだしね

如何にもエコ対策と言っても早いか遅いかだけの短い時間の中での事です。

原子力発電の恐さも安全と言う言葉で隠そうとしているだけなのにね。

 

医者の診断も薬も僕から見たら悪魔のようです。

異常なしでは営利もくそもありません。

病院は病気の生産工場と考えた方が自然ですね

生産すればするほど周りのハイエナどもが集り狂います。

運が良ければ幾ばくか長生き出来るだけの力しかありません。

恐い病の殆どは治療の甲斐なく苦しい時間が寿命に少し足される程度です。

放っておいてもそう言う人達は適度に生きながらえると思います。

 

本当の医療があるとするならば死に行く人を100%救う事ですよね。

放っておいても生きる人さえ一つ間違えば命を縮める医療は

とてもとても身を任す気にはなれません。

 

病を恐いものと位置づけするのは良くない事のように感じます。

病と死は隣り合わせにあり、生きる者全て死は生と合わせだと言う事を

心に刻みましょう。

健康そのものの人だって一秒先は死が待っていると

言う事です。

若いからと言って先が長い事もありません。

幼くして命を失う事は多々ある事です。

死の考え方を変えれば生きている時間が大切であり

長生きする事が幸せでない事は理解出来ると思います。

今を楽しく生きる事が幸せの一歩です。

病を告げられても心は不動でない限り苦しみの海を

泳ぐようなものです。

死を恐れる日々を過ごしたくは

無いですね。たぶん僕にそれはありません。

必ずやって来る死は恐れるものではなく受け入れる事が

一番楽な事だと思います。

 

マルチトラックレコーダー ZOOMとKORG

僕の趣味の一つに多重録音と言うものがあります。と言っても音楽的な知識も無く

ギターも初心者に毛が生えた程度です。

それなのに音を重ねる事が好きなんですね。

昔はオープンリールデッキに始まりカセットMTRから今日のデジタルMTR

パソコンでのDAW等は全くわからない(頭脳が無い)ので

MTRばかりです。

これまでMTRは殆どZOOMでした、しかも過去の旧型ばかりでした。

初めてのデジタルはティアックでした。

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ZOOMの製品は

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使って来た順番に並べてみました。
途中でR24と言う今時の使って見ましたが。

やはりストレートに音を重ねるには昔のレコーダーの方が良くて

R24の次にMRS1608そしてHD16と過去の製品に戻ったわけです。

 

そして今回勇気を出してKORGの古い製品を購入してみました。

KORG D3200です。

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ちょっと失敗したかな?そう言う気持ちになっています。

 

音は思ったより良さそうでしたが使い勝手がストレスになります。

長年ZOOMだったので、それと比較するとZOOMさんは

素人でもカセット感覚で気軽に録音出来る機材だったんですね

改めて拍手を送りたいと思います。

ZOOMを使っている時は、それなりに面倒だなあと思っていましたが

KORGを手にしてからはZOOMのその手軽さと優しさに感謝します。

 

昔人間にとってはMTR上で楽に完結出来る事が凄く大切で

パソコンと連携するような使い方ではなく

MTRそのものでストレスなく出来る事がいいですね。

KORG ここまでデカいのにディスプレーが小さいし、その画面上でないと

機能が使えないのは悲しい出来事でした。

老眼の僕にはストレスが多大です。

 

その点ZOOMさんのは普通に録音してエフェクトかけたり

するのにストレス感じなくてディスプレーの存在はあまり

気にしなくて良かったです。

KORGさんも単体で完結出来るのなら、ノートパソコン並みに

大きいディスプレーにして欲しかったな。

ディスプレー小さい、文字小さい、これは車で例えると

人が乗れない大きさの車に匹敵するわ

 

ちょっと後悔する買い物なので

時間をかけて手作業で感覚掴むしかなさそうです。

ZOOMさんの良さが改めて実感した瞬間でもあります。

 

今日の猫さんロード 瀕死の子猫

昨日近くの猫エリアでトラ猫の親子がいました。

子猫3匹と親猫でした。

親猫と子猫2匹はすぐ逃げたのですが

一匹は逃げもせずじっとしていました。手をかざしても逃げる様子もなく

僕の姿を確認も出来ないようでした。

目が見えていないように感じました。

結膜炎なのか目の周りは赤くなっています。

撫ぜても逃げる様子もありません。

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昨日の子猫

そして今日同じコースを通っていたら、この子猫なのか

暑くなったコンクリートの道へ横たわっていて、見た瞬間、死んでいる

と感じる程の状態でした。

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子猫

もう既に死んでいると感じさされた転がり方でした。

連れて帰って埋めてあげようか、それとも親猫のいる辺りへ連れて行こうか

そう思いながら触るとかすかに動きました。

まだ生きてるわ、猫エリアの家の人に相談しようと抱きかかえ

初めてその家に声をかけて見ました。

抱いていた子猫が動き始めました。

そこの人と話をしている内に蘇ったように動いたのです。

そこの奥さんが「この子は餌を受け付けない子」とも言っていました。

でも牛乳など探していて、取り敢えず家の中に入れてくれたので

駄目かも知れないけれどお願いして帰りました。

また次に会った時に様子を聞いてみたいと思います。

 

 

この付近では最近白黒の子猫やトラ猫の子猫をみかけるのですが

写真に撮ろうとしても僕の気配を感じると逃げだし物陰に隠れてしまうので

中々カメラで捉えられないんですね。

 

このエリアの猫さん好きの家の中には6匹の猫を飼っていて

放し飼いのようになっているのは知ってました。

飼っている猫と別に餌場もあり捨て猫なども居て

このエリアに15~16匹は居るとの事でした。

まろさんもその一人ですし、おにいちゃんも現在は此処を拠点に

しているようです。

 

近所ではやはり迷惑だったり畑の人も迷惑だと言っていましたけどね

それは単なる猫が本当に好きかどうかで答えは変わります。

多少好きだとか家でペットとして飼っている人などや

野良猫と飼い猫を区別している人達はきっと本当に好きではなく

愛玩用具の一つとしてのペットなのでしょうね。

癒される自分が好きな人は、猫を癒しているわけではないように

思えます。

僕は生き物全般好きなのです。

同じ生きる者として大切に思うのです。

 

今朝の瀕死の子猫ちゃん、抱いている内に動き始めた

瀕死でなく目が見えなくて疲れて深い眠りに就いていたのなら

いいですね。

野良猫が最後まで生き抜くのは極少数です。

増えません。

自然繁殖よりはブリーダーさんが生ませて増やす方が遥かに

確実に増えて行きます。

殺処分ゼロにするには動物の売買がある限り無理です。

悪の矛先を野良猫に向けず

人間の都合による繁殖に目を向けてください。

 

野生の動物は人間の侵略によって領土を奪われただけです。

大地は生き物みんなのものではないでしょうか?

 

 

コニカミノルタ、ディマージュA1とオリンパス、E500

随分過去の、そうですねフィルムカメラからデジカメに変わった頃の

初期のデジカメ

コニカミノルタ ディマージュA1 500万画素

オリンパス E500 800万画素

コニカミノルタはネオ一眼レンズ一体型カメラの走り

オリンパスは一眼レフでした。

今はもう持っていないけれど当時よく使い込んだのは

コニカミノルタでした。

利点はファインダーもチルト式、液晶もチルト式で

ローアングルが手軽に取れるカメラでしたし200㎜の望遠までカメラ一つで

手軽に持ち歩いていました。

現在はそれら大きいカメラから脱却して小型カメラ

コンパクトデジカメ派となりました。

当時から言われていましたが画素数は競争の目安みたいなもので

実際にはあまりそれは意味の無いものだったと思います。

普通に写真アルバムにするには必要性はないように思います。

またパソコンなどで見るならば画面に収まる程度の画素数があれば

それ以上はいらないですね。

オリンパスE500

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コニカミノルタディマージュA1

色合いは好みだし、どちらでもアルバムに貼るていどなら良しだし

後から補正も出来るので、ピンボケじゃなければ上出来です。

 

ディマージュは酷使し、E500はあって無いようなくらい使用頻度が

少なかったですね。

 

素数をあまり気にしなくなったのは家庭用カメラと業務用でしょうか

その比較から素人が考える画素数と本当の高性能では価格も性能も

明らかに違うからです。

ムービーカメラの500万画素の映像に対して100万画素の業務用の方が

何十倍も優れ価格も何十倍も違う事から、興味が薄れました。

 

日常をパシャパシャ撮るのはポケットに入れて歩けるカメラが

一番いいなと感じた瞬間かもしれないです。

 

現在はウォーキングにSonyのRX100M5とキャノンのSX740HSを持ち歩いて

日常を撮り続けています。

なぜもっと早くコンデジにしなかったんだろう?

大きなカメラはマニアとプロの趣味器具ですねえ。

スマホじゃ物足りない部分を十分カバーしてくれるし

コンデジはいいな。