猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

今日も猫さんロードはお休みしました

昨日今日と二日続けてのウォーキングを休みました。

昨日は昨日で娘の送迎などで早朝歩けなかった事と今日は夜勤明けで

巷では盆休みに入った事も有り猫さんロードそのものが墓所なので

早朝からずっと人が多く、迷いながらも取りやめました。

薄暗い内に行ける時を狙って行こうかなと思います。

詮先日は早朝6時前に出たのですが、人が結構いて猫さんは

殆どどこかに散らばっていました。

 

猫さんに対しての価値観も人それぞれですが、営利が絡む事で

悪くもない生き物たちが悪の対象になっている事を少しは考えて欲しいなと

思います。外来生物を含め、色々な野生の生き物が悪とされたりしますが

その裏には営利の匂いが漂っています。

悪い悪い悪い事ばかり並べて悪となるのでしょうね

知らず知らずそれは脳の奥に入り込んで悪いものだと思い込むのでしょう。

食用の家畜などの命は惜しまず良いものとして大量殺戮だし

誰もそれを止めるどころか自ら好んで美味しい事しか

考えていないかも知れないですね。

 

営利と言うものが如何に人の心を狂わせ乱すのかも考えて欲しいところです

地球温暖化もエコの言葉で包み隠すエゴだしね

如何にもエコ対策と言っても早いか遅いかだけの短い時間の中での事です。

原子力発電の恐さも安全と言う言葉で隠そうとしているだけなのにね。

 

医者の診断も薬も僕から見たら悪魔のようです。

異常なしでは営利もくそもありません。

病院は病気の生産工場と考えた方が自然ですね

生産すればするほど周りのハイエナどもが集り狂います。

運が良ければ幾ばくか長生き出来るだけの力しかありません。

恐い病の殆どは治療の甲斐なく苦しい時間が寿命に少し足される程度です。

放っておいてもそう言う人達は適度に生きながらえると思います。

 

本当の医療があるとするならば死に行く人を100%救う事ですよね。

放っておいても生きる人さえ一つ間違えば命を縮める医療は

とてもとても身を任す気にはなれません。

 

病を恐いものと位置づけするのは良くない事のように感じます。

病と死は隣り合わせにあり、生きる者全て死は生と合わせだと言う事を

心に刻みましょう。

健康そのものの人だって一秒先は死が待っていると

言う事です。

若いからと言って先が長い事もありません。

幼くして命を失う事は多々ある事です。

死の考え方を変えれば生きている時間が大切であり

長生きする事が幸せでない事は理解出来ると思います。

今を楽しく生きる事が幸せの一歩です。

病を告げられても心は不動でない限り苦しみの海を

泳ぐようなものです。

死を恐れる日々を過ごしたくは

無いですね。たぶん僕にそれはありません。

必ずやって来る死は恐れるものではなく受け入れる事が

一番楽な事だと思います。