夜勤明けの今日は9時頃からのんびりと歩いて来ました。
毎日お年寄りばかりに(僕もその部類でしょうか)囲まれて自分の老い先を見つめると
複雑な気持ちになりますね。
若い頃に引っ越しの仕事で中年のおじさんを助手席に乗せて引っ越し先まで行く途中に
そのおじさんが若い僕にこう聞いて来たのです。
『君はどんな大人になりたいですか?』
その時僕はこう答えました「立派な大人になりたい」と
そのおじさんは『立派な大人とは?』僕の中では出来上がった理想の大人像ですが
抽象的でどんな大人かはわからなかったと思います。
そこで付け足して「これまでの人生で出会った大人に見習えるような大人が居ないので自分が見習えるような立派な大人になろうと思っています」
そう答えました。
引っ越しが終わり別れ際にそのおじさんが
『立派な大人になってくれ』とご祝儀を頂きました。
そして『君のような青年は初めてだ』とも言われました。
果たして今の僕はどうなんだろう?
これまでに色々な僕への言葉はありました。
共通するのは、あなたのような、君のような、こんな先輩と出会ったのは
初めてだ。
僕のような人間はあまり居ないようですね。
話は戻りますがお年寄りを見てもやはり見習えるお年寄りは今のところ
見当たりません。次の目標は見習えるお年寄りになりたいですね。
それまで生きていれば‥‥。
くろ友このところ居ないですね一番出現力があったのにねえ。
オッサンのせいかギャルオのせいか。
4兄弟のおかあさんエリアです。
ズームアップしてみました
こちらを向いているようなので手を振ると走ってきたので歩いて行くと
最初にいつもと違う猫缶出すと匂いだけ嗅いで食べようとしないので誰か先に来たのかなと思い一旦回収して、いつもの猫缶出すと食べ始めました。
好みがあるのでしょうね。
すぐ横の墓所で
上の墓所では
何故かおばあちゃんはよくクロさんが居た草の上に居る事が多いです
クロさんとは一番仲が良かったしここにお婆ちゃんが居るとクロさんを思い出します。
帰り道の子猫エリア近くの墓所では
くろ友の居る倉庫横の山道を歩いていたら
くろ友は今日も居ませんでした。
ギャルオ、オッサン、くろとんも、くろ友、友トラも段々見えなくなってしまうのかな?
見習える大人やお年寄りは中々居ませんが
生き様を見習える猫さんは沢山いるので僕の人生もまだ捨てたもんじゃにいね。
昨日ナースコールで行くとおじいさんが
「長い事お世話になりましたもう先がありません」
こんな言葉を何度聞いた事でしょう。
先日はナースコールで「殺される」と
忙しい時間にわざわざナースコールするなよ。
また別のばあさん
様子伺うため訪室するとまた歩けないのにベッドから降り尻もち付いて
動けなくなっていました。
前回は痛みなどの様子から管理者にも来てもらい対処しましたが
今回は幸い怪我らしいケガも無いので抱え上げてベッドに戻し
「どれだけみんなに迷惑かけるんやバカタレが」と怒鳴りつけました。
中々見習えるお年寄りがいないもんですねえ
じいさんには「わしが見習えるようなじいさんになってみろや
人生の先輩だろうが情けない」
コロナ以後みんな鬱的になっていてこんな施設内ではハッピーにはなれないし
家族の元ではもっとアンハッピー。
静かに姿を消す猫さん達は素晴らしい。