さて今日も歩くのを辞めてしまいました。
妻と娘の送迎時間を考えると絶好の猫歩きでありましたが
楽を取ってしまいました。
こうして段々と歩く事が無くなって行くのでしょうね。
いざ歩いて見るとまだ歩けるんだと思うのですが朝起きて
その道なりを頭に描くとそれだけで断念するのだから
きっと歩いて居る時のしんどさが潜在意識に刻まれているのでしょうね。
今日このブログにコメントがあり「猫の餌やり」について記された
チラシ?がバイクのカゴに入っていたそうです。
僕が思うにはバイクの持ち主と餌やり行為を見た人で無いと出来ない
行為ですよね?
違っていたら大変事だしね、
そうすると至近距離に家があり見渡す事が出来ないととても出来ないですよね
バイクを止める姿を確認、そして行く場所と餌やりも確認出来れば
このバイクの持ち主が猫に餌をやっているからと町内会長か誰かに告げて
チラシを入れるか自分がチラシを作り入れるかです。
推察すると畑へ行く姿を容易に目にする人と言う事に尽きます。
直接言うと角が立つので警鐘をならすためにチラシかな?
僕が何度が注意されたオッサンは既に亡くなっているので
住宅の間から抜けて行く姿を確認出来て餌やり行為も確認出来る
位置関係だと通り道の脇の家と言う事になるかな?
猫を嫌う人には違いないですね。
気になるのは2年以上前にその至近距離の家のガキがエリアに立ち入った後
しばらく猫が居なくなったりお堂付近を何人かで竹や摸造銃のようなものを持ち
猫を指さしていたガキどもが居たので親から猫は悪い生き物と教えられて
いたのでしょうね。
マンション側の家の一番端は猫好きなようでエサ入れが置いてあったし
最近またエサ入れが見えなくなっています。
その隣はギャルオが居ると追っ掛けたり追い払ったりはしていましたが
双眼鏡でもない限り餌やりかどうかは分からないだろうし
バイクや車を確認出来るのはやはり至近距離で何度も見ている人でしょうね。
今日の猫
歩いて居ないのでいつもの顔ぶれの猫さんは居ません。
ただ妻を見送った帰りに保育園上の墓所であーちゃんが
伏せているのが見えて心が痛みました。
妻を迎えに行く途中
猫嫌いは心が狭いので人としても薄っぺらすぎて仲良くなれないし
情も薄い性格だと思います。
その人達の次の手はなんでしょうね?