運命論
このブログによく出て来る運命と言う言葉
運命は決まっていると言うとそうではない運命は変えられると
反論したくなるでしょうね、また決まって居ると僕が断定的に語ると
事故に遭われた方などからすると怒りの対象になると思いますが
その時あなたが何故そこに居合わせるのかは偶然ですか?必然ですか?
運命は決まって居るとすれば必然ですが決まって居ないとすれば偶然です。
偶然でも必然でも結果は同じなら運命は決まって居ると考えてもおかしく無いですね。
今回の南海トラフ巨大地震を一つの事故として捉えると運命の仕組みが
何となくそうだなあと思えるのでは無いでしょうか?
この地震は30年以内に起こると言われています。
ならばこの30年間、若しくは南海トラフが起きるまで
地震の無い海外の国へ避難すれば良いのですがそこが運命の定めとなります。
簡単に変える事の出来ない条件のようなものに包まれているのです。
こうして南海トラフを一事故に見立てると日常によくある事故も
同様で出かけなきゃ事故は回避出来ますよね?
さてそれが出来るあなたなど存在しないと思います。
運命を感じるのは悪い事例の方が納得し易いですね。
誰も運転するのにブレーキとアクセルを間違うなんて思って居ませんが
ふみ違えてしまいます。そこへ向かわなければそんな事故には遭いませんが
そこへ向かってしまうのです、買い物だったり散歩だったり急用だったり
です。
起きてしまえば必然も偶然も全て運命の中に組み込まれているので
捉えかた一つで運命は決まって居る、そうではないに別れるだけで
結果は変わらないですよね。
色々考えると矛盾だらけだったりもします。
変えられない割には生き方そのもの考え方そのもの変えたり
明日の為に今日できる事を備えたりします。
それは運命を変えているのかどうかも良くわかりませんが
結果は用意されているのではないかと考えます。
生まれ来る時、人はいつの時代に誰の子として何時何分に生まれるなんて
誰も分からない様に、死すべき時も何時どんな形で死に行くのか
やはり分かりませんが運命の定めに従うしか方法は無いように思います。
永遠に生き続ける事が出来ない限り決まった時代の決まった時間に
この世を去るのでしょう。
今日はフルコースを歩いて来ました。
5時40分発
家を出ると横に
下の方でかなり年は行っていて見た目にもちょっと普通じゃないなと分かるような
人と出会いました。この辺りではみんな知って居ると思います。
普通もくそもないのですが説明上そう書いた方が分かりやすいので書いただけです。
よく見かけるおばさん? 年が分からないけれど若くはありません。
よく出会うので次に会ったら聞いてみようと思います。
彼女は僕をよく覚えているようで出会うと話しかけて来ます。
娘が小学生の時によく見たとは言っていて「蛇を食べていたおばさんじゃ」とは
言っていました。
普通の女性には見えないけれど普通の人よりはまともだと思います。
普通の人は裏があったり知恵が回り過ぎて恐いけれど
この人はそんな裏は無いと感じて居ます。
くろっぺさんは犬缶を食べてくれないので猫缶も持って行って居ます。
休憩の後、保育園上の墓所へ
まだ他に似たような猫さんがいたらちょっと困りますが今の段階で
名付けた方がいいですね。これから何度も見るようになると思います。
オスメス関係なく名付けています。
あーちゃんと一緒に上の墓所へ
Hanaのところから石材店へと向かいました。
ビリギャルの畑で
4兄弟のおかあさんエリアへ谷の道を歩きました。
今日ははんちんが出て来ませんでした。
ここに到着した時にゴミかごの後ろから白黒猫が逃げるのが見えました。
走り去ったのかと思ったら
公園で少し猫缶を置いて公園脇の階段から下へと降りたのですが
二段下の墓所に座って休憩していると
近所の猫エリアでもうっちゃんやピョンやんほど馴れていなくて
一定の距離を保つ猫さんですが僕を覚えて居るようでした。
たまたま散歩に来ていたのか群れから外れたのかは分かりませんが
近所の猫エリアでもお堂近くまで行ったりしていた猫さんでもあります。
早朝の歩きではありますが汗かきの僕は首に回した汗拭きのタオルが
絞れば汗がポトリと落ちるほどの汗でした。
何度も休みながらでもとにかくしんどくて楽をしたくなります。
楽をするほど身体は弱るが良いのかしんどさを抱えて歩くのが良いのかは
分からないですね。
運命に従いながらの猫歩きとも言えます、