ボヤキブログ

ただボヤクだけ

大人にも老人にもなりたくはない

昨年9月まで勤めた老人介護支援施設、振り返れば2017年3月末にトラッカーとしての

現役引退後まだ少しは働かないといけないなと思い人と接する事が苦手な僕は

小人数な職場の送迎関係の仕事を4月の半ばに見つけて4月下旬から一週間勤務し

ゴールデンウィークとなりゴールデンウィーク明けと共に退社しました。

理由はハローワークでは、知的障害児童の送迎とおやつ介助との仕事だったので

これくらいなら出来るだろうと思い面接を受けました。

実際には送迎はあったのですがそれ以外の仕事が僕には合わなくて

1週間勤めて悩み抜いて辞めました。

送迎とおやつ介助と言う簡単そうな仕事ではありませんでした。

実際にはソーシャルスキルレーニングと言う分野をやって欲しいのがその施設の

要望でした。

無理ですよね面接時には長く遊ぶわけにも行かないのでその分野の話も聞き

何とかなるだろうと言う軽い気持ちでした。

知的障害の子などが社会に少しでも適応できるようにとの

ソーシャルスキルレーニングです。

僕自身が社会に適応して居ない為、葛藤の1週間でした。

適応出来ていない僕が社会に適応する人間に育てる‥‥‥。

脳が混線、ショートですね。


日頃から僕は身障者や知恵遅れの子供はそのままで社会が受け入れるのがベスト

だと思って居るし、自分自身もこの性格を社会がそのまま自然に

受け入れてくれたらもっと楽に社会を渡り歩けたはずですが

社会は中々受け入れてはくれなかったですね。

どちらにしても適応障害のあるような僕には向かない仕事でした。

入社してすぐ〇〇先生と書かれたネームを首からかけた時にもう悩み始めました。

職員含めて6人くらいでしたが僕には針のムシロでしたね。

そんな経験からハローワークに辞めた事を伝え、自分は人と出来るだけ

接する事の無い職場が向いている事を伝え小規模な老人介護支援施設に

勤める事になったのです。

宿直、夜勤のみ、夜間は一人

つまり職場そのものの人間関係は殆ど無いのです。


面接時と仕事内容を教わる為に3日ほど二人体制です。

それを過ぎれば1人だけになれる。

トラッカーとは畑違いな職場ですがトラッカーも車に乗れば1人体勢です

違うのはトラッカーは得意先での人間関係があり

施設では老人との人間関係ですね。共通点は1人体勢ですね。


7年間老人介護支援施設に勤めましたが何十年の職歴の中で

一番僕には合っていました。ほぼノンストレス。

経営難から閉鎖になったのが残念です。

経営が上手くいって居れば今も務めているかもね。

肺気腫でしんどい事もありますが猫歩きよりはずっと楽でした。

経営が上手くいかないのは国にも責任がありますが経営者の怠慢も

あったと思って居ます。

危機感があまりにも無くて入居者が減ってもそれらしき努力が

見えませんでした。

本来同じ系列で我が町に3つの施設がありましたが老人が入居する

居宅はどうやら全て無くなったようです。

残って居るのはデイサービスだけだと思います。

一つ目の施設の閉鎖は僕が入った年くらいかな?

そこに残った老人と宿直二人が僕らの施設に移動しそこは閉鎖。

そして僕らの施設の居宅が昨年9月に閉鎖。

1階にあるデイサービスだけが残っていますが今後それだけで

運営出来るかどうかは不明です。

もう一つ別な場所に居宅施設がありましたが猫歩きでそこを通るのですが

閉鎖したようで車も無くなっていました。


色々なお年寄りと接した7年間は色々と勉強にはなりました。

そして自分の先の人生がこのお年寄りたちとオーバーラップさせると

複雑な気持ちにもなりました。

少年の頃は大人を見て大人にはなりたくないと思いましたが

施設で老人を見て老人にはなりたくないなと思いました。

僕も既に老人の域に入っているとは思いますが

僕が目にするような多くの老人にはなりたくはありません。

尊厳のある内に逝きたいなと思っています。

あまり長く生きると尊厳そのものが損なわれ人としての大切な何かが

失われるように感じました。

日本は長寿国ではありますがそれは喜ばしいとも思えません。

介護職の人達はどんな思いでその仕事に就いているのか聞いた事は

ありませんが僕にはとても無理な領域のように感じました。

虐待なども多いようですがその動機は分かる気がします。

介護職を苦にもならず出来る人は天使のような心の人か

よほど鈍感な心の持ち主ではないかと思います。

僕は宿直で良かったなと思います。

多少オムツ交換したりトイレ介助などはありましたが

それを日々ずっとやっている人は尊敬に値します。