猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

言論の自由とは何だろう?

このところ僕のテレビもメディアに占領されあまり見たくないのですが

言論の自由と言ったってそこにもコロナにでは無いが自粛があったり

制限があったりでそもそも自由そのものがもぎ取られているのが

人間社会の構造ですよね?

表現の自由などと言ってもテレビではがんじがらめの中にあって

報道の自由も拘束された中での報道だからそこに真実は都合よく眠らされているだけ。

その眠らされた部分を出来るだけ紐解かないと真実はいつも淡いものとなるようです。

悲惨さ、惨さをひた隠しにしてしまうと戦争の姿も淡いものとなり

淡いものを淡いまま残すのがまた常であり、平和も淡いままの幻になってしまいます。

目を背けた報道が延々と流されるだけ。

話だけではどこまで行っても物語で終わってしまうのが落ちです。

真実を報道すべき放送局やメディアも僕の目から見たら

中々その勇気は無いようですね。

報道規制や圧力などに依って淡い報道となっていて

こんな事では言論の自由など存在出来ませんね。

どんな理由があっても蛮行は許せないと言うフレーズが流れていますが

理由があればいいのですか?

戦時中に戦争はいけないと自由に言えたのだろうか?

蛮行はなかったのだろうか?

また今回

特定の宗教団体と言うフレーズがどのメディアも口を揃えていますが

何故真実を語らないのでしょうか?

深く掘り下げて淡いままにするといつまで経っても社会は良くなりません。

真実を語るのは勇気のいる事です。

その勇気のタイミングを計るようじゃメディアは失格ですね。

コロナで知ったげな人達が色々と発言していますが

そこにも真実性が淡すぎます。

ワクチン接種、マスクの着用、消毒、ソーシャルディスタンスを謳いながら

同じ繰り返し、そろそろ全部やめたらどうですか?

まだ目が覚めないようなら最後まで自宅で自粛すればいい。

遊びたい、どこかへ行きたい為のワクチンや抗原検査も意味なくなってる事に

気付きませんか?

ワクチン接種しても感染し続けてるでしょ。

それでもまだ目が覚めない人は憐れそのもの。

 

選挙、僕が行っても行かなくても何も変わりません。

そう言うと熱心な方は非難すると思います。

こう言う輩が居るから変わらないのだと、変えたければ選挙に行けとね。

もう行く事はないですね。

国民目線で心を動かすような衝撃が無い限り。

政党目線で美味しい話をされても心は動きません。

 

そう言えば特定の宗教団体から褒められた事があります。

信仰心が無いのに何故神の心が解るのか?と言われました。

またうちの信者でもそこまで到達している人は少ない。

答えは簡単です。

あなた達の神は創造の神です。

私の神は想像の神です。

もし神がいるとすればどうするだろう?

用意された神は個性が在りすぎて迷いが生じるだけ

色々な神がひしめき合ってそれぞれが違うだけ。

想像の神は兎に角、単純、明快です。

経典にも縛られないし思想もそこにはありません。

 

言論の自由も聞かれたら素直に思う事を語ればいいだけ

嘘を語る必要もないし隠す必要もありません。

 

でもその宗教団体を褒めた事はありません。