猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

想い出の写真 今から47年前

僕が妻と出会ったのは47~48年前でした。

運命のいたずらなのか偶然か必然か

出会いは、馴れ初めは以前にもブログで書きましたが

今では考えられないシチュエーションでした。

妻はその時はまだ13歳と言う年齢でした。

出会った最初に将来の僕の嫁だとインスピレーションを感じたものです。

また妻も恐らく同様のインスピレーションを感じていたものと思われます。

運命の導く絆はとても不思議なものです。

妻はまだ子供子供としていてとても結婚を考えるような存在ではありませんでしたが

出会ってからは毎日のように家に訪れていたのです。

一人ではありません妹を連れての訪問です。

それで思ったのは両親が毎日のように出かける姉妹を何処に行って居るのか

心配するんじゃないかと言うのがあり、両親に心配させないために

会って話をしておかないといけないなと言う気持ちから妻の家を訪れました。

出て来たのはお父さんでした。

僕の家は当時食堂を営んでいてそこの息子ですが

お子さんが毎日のように姉妹で遊びに来ていますので

家に居ない時は僕のうちで遊んでいるので心配はしないで大丈夫です。

両親は毎日学校から帰るとすぐ妹を連れて出て行くので何処に行ってるのだろう?

仲良しの友達のところでもいってるのじゃないかとは思っていたそうですが

それにしても毎日すぐ出て行くのでいつもとは違うなと思っていたようです。

妻の家がどんな家庭なのかはまだ知るよしもありませんが

初めて訪れた時のお父さんの言葉は今も鮮明に残っています。

初対面の僕に「自分にもしもの事があった時は娘を宜しくお願いします」

考えられない言葉ですよね。

何か色々な思いがあり口をついて出て来たのでしょうね。

妻はまたまだ子供で将来の嫁とインスピレーションは感じたものの

それは成長を見守って年齢がそこそこ達した時まで待つと言うものでした。

お父さんの初対面でのあの言葉は家庭の事情や行く末の不安などから

出た言葉でしょうね。

その後、妻の家庭は崩壊し母は妹を連れ行方不明に残された妻は

父から死のうと言われた事から僕が連れ出し妻の祖母に預けたのです。

その父は僕と妻が結婚し第一子が生まれた3ヵ月後に

自殺と言う形で亡くなりました。

 

この想い出の写真は妻と妹を連れて日御碕と出雲大社に行った時の写真です。

この日、妻は日曜日でしたが参観日でもありました。

それを知らない僕は前から連れて行く約束をしていたので

訪問したわけです。

参観日ならまたにしようと言った時、妻の父は「約束は守らないといけない

学校に電話入れとくから行ってこい」

そんな想い出なので一生忘れる事はありません。

f:id:giinggaggiinnga:20211029190445j:plain

 

妻とは六年の歳月を経て結婚へとなりました。

僕の持って生まれた性格とこの六年間で起きた苦しみの中で

人とは違う人格が完成されたように思います。

 

真子様

また元婚約者の思いがテレビで報道されていましたね。

どうでもいいじゃない。

往生際悪いと思います。

黙して語らず。