猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

生き様

僕は誰よりも臆病である、しかし人はそうは思わないだろう

それは心から発する言葉を口から零すからだ

僕から見ると多くの人は言葉が喉元を通る前に都合よく変換してしまうから

その零れ落ちる言葉に真実味は無く嘘と言ってもいい位のゴミ言葉。

言葉の重さは水鉄砲と弾丸の差がある事だろう。

 

何となくパソコンを開いていたら遠い昔の写真が偶然にも出て来たので

色々な事が頭を駆け巡り記事にしようと思いました。

取り敢えず写真を掲載します。

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もう40年以上前か記憶は曖昧ですが、当時この工場から製品を運ぶトラックに

乗っていた頃の写真です。

左が僕で右の人物はこの工場の二代目の工場長でもあり僕が務める会社の

社長でもありました。

これまで出会った中で数少ない理解者でもありました。

初代の工場長もこの人物と同じく僕の社長でもあり、この二人が何十年にも

渡る僕の仕事人生の中で最も理解してくれた人だと今でも感謝しています。

僕が肩書を嫌い肩を並べる事が出来る人物と言う事ですね。

雇う雇われるそのような壁を断ち切って人として接する事が出来る人物と

言う事です。

会社行事一切をスルーし続けても僕を一人の人間として大事に扱ってくれる

数少ない人なのです。

 

初代の社長も同じく僕を右腕として添えたいと言うくらい僕を惚れ込んで

くれていました。

このままずっとこの二人が居てくれたら僕の仕事人生もすっかり

変わったものになっていた事でしょう。

悲しいかな資本出資会社は大会社であり古き習慣ある企業と言う事と

個人経営の会社では無いので社長、工場長も変わってしまうんですね。

初代社長も僕は居てくれるだけでいい、そんな扱いでした。

この写真の人物も心を割って話が出来るのは君しか居ない

そんな感じでしたから僕の能力は十分発揮できていました。

 

当時の僕は会社のパソコンに

1に私事

2に家族

3に友達

仕事はランキングに入る程の場所にはない

と打ち込んでいた位の性格でした。

それを素直に受け止めてくれたのもこの二人だけでした。

 

ランキングには入れて無いのですが両社長から僕の仕事ぶりを見ると

何も言わなくてもそれ以上をやってくれていると言う事でした。

 

そして三代目の社長兼工場長から歯車は全くかみ合わなくなりました。

会社行事は半強制のような形で迫って来るしそれを拒否すると

俺が声をかけても来ないってどう言う事だ!!

それでも拒否し続けましたけどね。

理由は行きたくないから行かないただそれだけです。

一代目、二代目はそれを笑顔で受け入れてくれたものです。

君が思うようにしたらいい。

 

三代目はあまりにも高慢な態度で「普通は行きたくなくても何か理由をつけて断ったり

三度に一度くらいは来るものだ、なんて奴だ」なんて言葉を吐きました。

頭に来るので「行きたくないから行かないのが理由でしょ、何ならこの場で辞めても

ええんで、辞めた瞬間あんたはわしの靴底より低い位置に置かれるだけだろうが

偉そうにするな!それからな初代、二代よりわしの仕事ぶりが落ちたのは

落としているのはあんたの技量分しか出来ないと言う事だ」

 

ここから僕の転落は始まったのでしょうね、この時はまだ子会社で

あったのですが合併吸収で社員となったわけです僕は子会社で

自由に働かせて貰えば自分の能力は目いっぱい惜しまないのですが

大企業系列の社員となるともう無理だわ動きが取れない

自由が奪われる。

そして工場移転と重なり僕は役付きをどの位置にするかと会社側が

提示してきましたが全て断り平を選びました。

しかし給料は課長級と言うアンバランス

一応移籍と言う事で履歴書書かされました

書きましたよ嘘をつかない僕が嘘の履歴書

趣味の欄に「女遊び」

権力に対しての反抗です(若気の至りとも言う)

もし初代目。二代目の人物が見たら理解したと思います。

口から本当の事が零さない様に

文書もまた同様で綺麗ごとしか書かない書けないのが常識

これを理解出来る人は先ず居ない。

一年半後に色々な理由を付けて懲戒解雇と言われました。

先代に相談したところ「何食わぬ顔で行きなさい」と言われましたね

取り敢えず行ったのですが「懲戒解雇したのに敷地に侵入した

警察に通報する」なんでやねん

プライドがあるので帰りました、そこまで言われて何食わぬ顔は出来ません。

しかも以前にこの社長に「あんたは腹黒いだけの男じゃないか

首にしたけりゃ首にせえや」そんな経緯もあるのでのこのこ出かけた自分も

恥ずかしかったですね、帰って先代に報告しました。

「君らしい」と笑っていました。

 

この会社では色々な事があり本当に人生の分かれ目だったと思います。

何事も無ければ良い暮らしに突入し今頃は施設で働く事も無かったでしょうね

工場移転で何か月も休みなしで残業100時間越えが続き反乱が起きたのですが

いつの間にかその首謀者として僕を追い詰め無き事をあるかのように

造り上げて悪の根源として扱う事で解雇理由をでっち上げたようなものです

あの男に近づくな冷酷な男と言う形で葬られました。

辞めて数年後に子供を連れその会社の周りを歩いて居たら当時の係長などが

フェンス近くに居たので呼び止め話をしたらやはり僕を辞めさす工作に加担した事を

認め僕に謝罪しましたが、過ぎた事はもうええわ何とも思っとらんけん気にするなと

言いこの時終わった気がしました。

冷酷な男として社員などに吹き込むよう社長命令に背けなかったと言います。

懲戒解雇ね

でも先にこの会社を辞めた先代が懲戒解雇の取り消しを僕の知らない間に

交渉してくれたようです。

後に知りました。

 

今では懐かしい良き思い出の一つです。

自分の人生は自分で歩むものです。

人に歩まされるのはただのロボットです、私はロボットではありません。