2017年6月に今の施設の宿直として勤め始めた直後、膝がロックして歩けないと言う
事態に陥り、就職したばかりなのにと何とか早く治さないとと言う事で
整形外科に行くと半月板の損傷は手術しないと治らないと言われ
他の整形外科へも行ってみました、やはり同じ事を言われてしまい
そうなるとしばらく仕事も出来ないリハビリもしなきゃならない
元々医者は好きでないので整体へ行ったのですが保険も利かないし
続けるのは無理だなと考え保険の利く接骨医を訪れてみたところ
やって見なきゃわからないけれど手術はしなくても歩けるように
なると思いますと言われこちらを信じる事にしました。
僕の価値観、内科は病の製造工場、外科は修理工場で
病を作り治したがる、切りたいばかり‥‥。
接骨医曰く、病名をつけなきゃ保険は利かない、金にならない
外科はメスを入れたがります。
意見は一致しました。ここなら金より治療だなと感じました。
初回だけ初診料ありましたが後は300円程度だし続ける事も可能
こちらに賭けてみました。
ほぼ一カ月で膝はロックする事はなくなり
2カ月目に一度行き二週間空けて二度目には
「もうここでする事はないですよ、後は自分で治せます」
そして勧められたのがウォーキングです、足の角度が付く傾斜地
つまり坂道など歩けば大丈夫と言う事でした。
そして歩き始めたのが通称猫さんロード(勝手にそう呼んでいます)
歩き始めた初日ヘアピンカーブのところで
近づくと
近づくと
この時感じたのは鳴き声が呼び掛けている感じで帰ろうとするとまた出て来る
そんな感じで人慣れはしているように感じました。
心の中でうちの猫の餌持ってくれば来てくれるかな?
一度家に戻りポケットにドライフード持って歩いてみましたが
ヘアピンカーブには居ませんでした。
今になって思えば時間的に畑のおじさんを待っていたんでしょうね。
僕は知らない人だから警戒したのでしょう。
そしてお堂の近くで
この出会いからキャットフード持ち歩くようになりました。
翌日
この付近に居るのは畑のおじさんがヘアピンカーブ辺りからお堂へと付いて
来たのも後にわかりました。
既にこの頃には畑のおばちゃん、おじさんには凄く懐いていたんですね
触れるようになったのはすぐの事でした。
野良猫と言っても人との触れ合いのある猫さんは餌が直接コミニュケーションに
なるみたいです。
畑のおじさんと話をするようになり僕が見たのは4兄弟でそのおかあさんが
墓所の駐車場あたりに居る事を知り、これまでお堂で引き返していましたが
足を少し伸ばすようになりました。
この写真は初めておかあさんと出会った時の写真です。
近づくとやはり逃げてしまうので側溝にキャットフード置いて離れると
降りて食べていました。
ドラさんやまろさんの姿も見た事はあるのですがまだ全く近寄れない猫さんでした。
どくちゃんとお兄ちゃんは同じ年の猫さんで一つ下がクロさんとチビでしたが
当時はまだ名前も付けていませんでした。
名前がないと何かと不便なのでどくちゃんは4匹の中では単独行動と言うか
いつも少し他の三匹とは遅れて来たりしていたので単独さんと呼び
単独がなまってどくちゃんとなりました。
クロさん達のおにいさんの一匹をおにいちゃんと呼び区別出来るようにしました。
クロさんは黒猫そのものなのでクロさん
身体が一番小さい猫をチビとなづけました。
ドラさんは初めて見た時には顔もきつく見え、近づくと走り去る猫さんでした
この辺りのボス猫かと思い、ドラ猫さん←ドラさんとなりました。
現在ドラさんはいないのですが控えめで見た目と違い一番優しい猫さんだと思います。
まろさんは近所の猫エリアで見た猫さんですがこの写真を写した時は
ただの白黒猫さんで、お堂に来るようになって初めて近所の猫エリアの猫と
同一の猫さんだと後に知る事になりましたが、まろさんが来ると4兄弟は
恐れて逃げてしまうのでずっと親分と呼んでいたのですが、近所の猫エリアの
おじさんと会話を交わすようになってからお堂で「まろ」と呼んだことから
親分がまろさんと言う事になりました。呼び馴れた名前にした方が良かれと
思い、名前とは似合わないけれどまろさんとなりました。
名前を教えてくれた近所の猫エリアのおじさんがおにいちゃんとまろさんを
混同したところがありイマイチまろさんが居ると言われても信じる所までは
行ってません。
猫さんロード歩き続けて沢山の猫さんが消え、沢山の猫さんが新たに
生まれてもいます。
何だかんだとこれまで命名したねこさんは40匹を越えてしまいました。
その顔を名前を全部記憶出来ているのは我ながら凄いなと思います。
記憶力は抜群に悪い僕です。
人の名前は中々記憶出来ないしすぐ忘れてしまいます。