猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

2018.7.7 あの日(運命論)

猫さんロードを歩き始めたのは2017年の10月半ばから

2018年7月7日は西日本豪雨の日でした。

前日の雨の日は雨で歩くのは止めました。夜中に雨の音が凄いなと思い

夜が明け外の様子を見て異変に気が付き近所の山が崩れていたりで

ただ事ではないなと道路状況を見て回りました。

町から抜けられる幹線道路は二か所だけでした。

一つは自宅すぐ近くから熊野有料道路へ繋がる道

もう一つは同じく熊野有料道路へ繋がる幹線道路だけで後は全部通行止めでした

通行止めしなくても通れる状態の状況ではありませんでした。

娘の送迎にいつも通る道、10分で行けるスーパーまで車で4時間もかかった事

今でも忘れる事が出来ません。

妻もJRが止まり、海田市まで送り迎えしていましたが

とても車ではお手上げで何日か送迎した後、自転車で行って貰う事にしました。

娘も裏道ばかりを通り何とか送迎は出来ましたが裏道も大混雑するように

なっていましたね。

大回りしながらも送迎したものです。

 

僕は運命論者です。

生と死の往復切符をDNAの中に組み込んで生まれたくらいに考えています。

1951年1月19日に僕は生まれ決められた場所で決められた行動を取るようになっている

しかしその日に生まれる事等知るはずもありません。

その場所でその時間に生まれるのは両親も又関わり、そうなる行動を

決められた運命によって取っていたのだと思います。

 

それと同様に死もまた決められたように自分からその方向へ歩いているはずですね。

いつも運命論では明日の事はわからない、わからないから希望となるのです。

生も死もわからないけれど決まっていると考えた方が辻褄が合うのです。

決まっていたらおかしいなんて思っても決まっていなければ

死と言うものもありませんね。

このところ毎年災害が多くなりましたがそこにも生と死の知らせが

ちゃんとあるのでしょう。

そこへ向いて行かなければいいのですが決められた通りに行ってしまう

不幸のあった方には申し訳ないのだけど、誰も死に急いだり

死を遅らせたりは出来ないのが運命です。

 

それはあの時こうしていればなんて言葉になってしまうのですが

あの時そうする事によって死へ向かったり生へ向かったりです。

非難して命を落とすのも非難せず助かるのもまた避難して助かるのも

非難せず命を落とすのも運命の成せる業ですね。

つまり逃げ遅れて助かったりその反対だったりです。

その時取る行動が全てです。

その行動があなたの運命を知らず知らず取っている事になります。

 


2018 7 7

 

今日のうちの猫さん

f:id:giinggaggiinnga:20200707161456j:plain

チロさん

f:id:giinggaggiinnga:20200707161512j:plain

チロさん

f:id:giinggaggiinnga:20200707161527j:plain

ナナさん

f:id:giinggaggiinnga:20200707161545j:plain

ナナさん


チロさんナナさんは野良猫さんでした

僕のうちに居るのもお互いの決められた運命によって

必然的に来たのだと思います。

欲しいから呼んだわけでもなく

来たいから来たわけでもありません。

運命の糸はどこかで繋がっていて

引き寄せ合うものだと思います。

 

 

f:id:giinggaggiinnga:20200707162217j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162238j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162305j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162321j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162335j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162352j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162420j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162442j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162503j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20200707162517j:plain