今日の猫とボヤキ

新しいブログ名です

生への旅立ち死への旅立ち

人生の中で生への旅立ちと死への旅立ちは一度しかありません

どちらも未知の世界なので恐くて恐くてどうしようもないから

赤ん坊は泣いて生まれるのでしょう。

しかしその後すぐに笑顔を見せるようになります。

思った程恐くは無い場所だったのです。

そして死と言う観念が忍び寄るのです

それも初めての体験なので死を恐がり藻掻くのが常です。

ジタバタする姿は生まれ来る時恐怖と同じかも知れませんね。

 

僕の観念としては死は楽への唯一の道です

それ以外の道はあり得ない、誰もが向かう唯一の道です。

死ぬためには動機が必要です。

それが病などです。

何も外因がなければ死は迎える事が出来ないと言う事ですね。

死ぬための道具のようなものです。

例え寿命と簡単に言いますが、そこに至るにはやはり病と言う道具が

無ければいけないわけで寿命と言うのは恐らく他臓器がそれぞれ

平均に弱りながら逝く様だと考えています。

つまり他臓器不全と言う全身の病を抱える事が寿命と言う観念です。

心臓なら身体の一部が不全で死を迎えるし、癌なども一部の臓器から

冒されやがて死に至ると言う自然現象と言ってもいい位ではないでしょうか?

かと言っていくら健康体だと言っても事故等でも簡単に死を迎える事もあります。

死は生と同じくらいの価値があると思います。

生の数と死の数は常に同じです。

生がおめでとうなら死もおめでとうです。

どちらもめでたいのですが死を忌まわしいものと感じながら

育った事で何か大きな勘違いをしているように思います。

死が忌まわしいのなら生まれ来た事も忌まわしいはずですけどね。

完全リセットくらいの気持ちがあれば未練も何もそこにはありません。

生きている内に楽しく生きるようにしたいものです。

生きる苦しみも死んでは味わえないのだから

苦しいぶざまな姿も笑い話の中で

痛い痛いもジョークの中で語りたいものです。

病も受け入れその中で死を予感出きれば

笑っていたいものです。

死は楽を迎えるための門なんだくらいの楽しみで十分です。

どちらにしても死=他臓器不全だよね

それが心臓だろうと脳だろうとインフルだろうと新型コロナだろうと

恐がるより受けれて笑いながら生きようでは無いか。

全部避けても最後は他臓器不全だよ。

生への執着ほど苦しい病はあり得ない。