猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

最近入居して来たお年寄り 少し興味が湧いて来た

昨年末に入居して来たお年寄り、年齢は90代半ばかな?

今度プロフィールを見てみよう。

入居して一週間も経たない内に他のお年寄りが悪口を言っていました。

まあ図々しいだとか遠慮が足りないだとかです。

僕から見ればそんな事を口にするようじゃ悲しいなと感じました。

話もしないで決めつけるのは外見だけで人を決めつけてしまうのと同じ

先ず色々話をして見てから決めて欲しいものです。

先入観や常識の範囲でなく、心で感じ取り判断出来れば

少しは人間的だと思うのですが。

人間って悲しい生き物ですね。

その人が宗教家だと知ればまた見方が変わるかもしれませんね。

 

僕からそのお年寄りを見ると社交的で誰とでも話す事が出来そうで

羨ましいと思うのですが、入居するなり他の人に躊躇なく話しかけると

目立つのか出し抜かれたような思いにかられるのでしょうか?

そう悪口を語るのは、この施設で一番仕切っているようなグループでした。

僕のような内向的な人間から見ると、躊躇なく誰にも気さくに話しかけられる人は

ただ羨ましいだけなんですけどねえ。

かましく見えたり図々しく見えるのはどこか心が歪んているのかな?

素直に見ればとてもいい事ですけどねえ。

別に割り込んで話したり押し付けて話しているようでなく

極自然に話しているように僕は見ています。

 

この新しいお年寄りはお寺から来ていると昨年末耳にしたので

昨日確かめてみました。

女性ではありますが浄土真宗の住職さんだとの事でした。

それで僕は思ったのです。

俗世間の人とは少しは違った価値観があるだろうなと‥

僕自身常識から逸脱した物の考え方なので

宗教も俗世間からは大きく逸脱した空間に在るので

その空間の場所は違えど話は出来そうです。

 

無宗教、無信仰の僕の方が

俗世間の常識で手を合わせる人よりはきっと仏に近い所に居るはず

仏ったって信じちゃいないよ

常識の中で仏壇に手を合わす人よりは

手を合わさず埃だらけの仏壇を存在させている僕の方が

きっと確かだと言う事です。

ただし一つの宗教だけが正しいと唱える人達とは

話はしたくありません。

どこまでも寛容でなければただの凡人としてしか捉えられないからです。

 

僕自身は神仏はどうでも良くて

自分を外側から客観的に見たい事から

想像の神のようなものを存在させています。

迷った時に特定の宗教では無くて

もし神がいるとすればどう捉えるだろう?

その答えに従いたいのです。

自分で考えて出す答えとは違ったりです、何故なら僕を擁護するような

答えとは違うのでそれが好きなのかな?

まだまだ欲もあるし雑念もあるから

自分では良かれとした事を想像の神はそうはしてくれません。

その矛盾を味わいたいのです。

何故の世界ですね。

 

皆さんも想像の神に心を委ねて見るのもいいですよ。

良い事と悪い事の区別がかなり明確にはなると思います。

何処まで行っても僕にはまだ狡さがあり都合良く考えたりします。

それを戒めてくれるのが想像の神です。

既存の宗教の神よりはふところが広いので

あれは駄目これは駄目とは言ってくれません。