猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

お年寄りとの会話

友達も作らない、会社行事にも参加しない、大人と話をしても価値観が全く違い

会話をする気になれなかった僕が、今の仕事では何だかんだと色々話をしている。

たぶんお年寄りは社会の第一線を退いていて少し社会の枠外に半分かかっているから

ずっと社会の枠の際にいる僕も自由に語れるのだと思います。

どんなに強がってもお年寄りは残りの時間も少ないし、一般社会のように

僕を抑えるだけの言葉はないと感じている。

 

お年寄りは生きていてもしょうがないや早く死にたいなど下向きの言葉も多い

社会の第一線に居た時はそんな言葉は吐かないと思います。

僕の場合は社会の第一線に居た時はその反対でした。

死にたいとは言わないまでもその時が待ち遠しいような

解放されたい、生きる意味がないのようなことばかり考え

それでも第一線にいる為には自分を通すしか生きる意味はない

信念を持つしか生きる意味は失われてしまう

そんな感じで自問自答しながら今の人格となったように思います。

 

お年寄りもしっかりした人は認知症の人などを人として認知出来ない人が

多いようです。それこそ認知症じゃない(笑)

「あんな人を入居させていいの、みんなに迷惑」のような言葉が

行き交ったりします。

「部屋が空くと家賃が入らないから入れているんでしょ」とかね

的を得た部分もあるかも知れないけどね、何か間違えてる。

経営者は多分苦しいと思います。

素人目線で考えてもこの手の施設は冷遇されていると思うし

儲かる要素は見当たりません。

 

だからといって認知症の人や身体の不自由な人も人間なのです。

「あんな人を入居させていいの、みんなに迷惑」と

しっかりしている人ほどその手の言葉を吐いていますね。

もしそれが正しければ、自分がそうなった時

自分から施設を出て行くと宣言しているようなものです。

そんなに単純な流れにはならないと思います。

こう言う人達も何れ誰しもそこに辿り着くので

その時追い出されてもいいのなら構わないけれど

近い将来の自分だと思って、出来るだけ優しくしてあげましょうと

話すようにしています。

 

顔合わせる度、早く死んだ方がいいと言うお年寄りには

自分がそう心から思うのならそうしなさいと話します。

思った通りにするのが一番いい。

しかし心から思っているわけではないので今日もまた明日も明後日も

生きています。

楽しみを奪われた環境に居ると言う事でもあります。

自分で生きている楽しみを見つけるしかないのです。

一分でも一秒でも楽しくするように心を変えていかなくては

いけないなあと思いますね。

 

歩く事が出来なく苦痛を感じ悩むよりは歩けない事を言い事に

楽しい思考を巡らせるように心がけたりね

恐らく施設や老人ホームに入居した時点で

寂しさや疎外感から良くない思考へと繋がり多くのお年寄りが

楽しい時間より寂しい時間を過ごしていると思います。

みなさんももしおじいちゃんやおばあちゃんが居たら

施設などの事を考える前に、どうしたら家族と一緒に最後まで

過ごせるかと言う事を考えて欲しいと思います。

夫婦共稼ぎだから無理だとか否定的な思考でなく

何とか一緒に過ごせる方向で考えて欲しいと思います。

その上で決めた方がいいと思います。

 

僕の場合ですが自分の父母は既に他界していて、妻の母が現在80歳です

その義母が一人暮らしが難しくなってきた時は一緒に住む事を決めています。

現在妻は働いていますが、その時点で仕事は辞めるべきだと思っているし

それは義母にも伝えています。

先の心配はいらないので施設へ入居なんて考える必要はないのです。

天涯孤独の人の中で不安な人だけが入ればいいし

孤独死を良しとする人は一人住まいのまま近隣の人が

安否確認すればいいような繋がりを望みます。

 

変な話ですが僕の今の仕事が無くなって行く事が

日本の本来の姿であります。