猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

今日の猫さんロード あの子猫は死んでいた

8月9日に道端で倒れていた子猫、死んでいると思って、どうすれば良いか

連れて帰り庭に埋めるかと思っていたら微かに動いたので抱き上げ

そのエリアには親猫がいるし、猫の世話を良くしている人が居たので

相談しようと連れて行きました、その途中で腕の中で動き始めました。

事情を話し預けました。

f:id:giinggaggiinnga:20190913142419j:plain

瀕死の子猫

次に会ったのは8月20日

f:id:giinggaggiinnga:20190913142504j:plain

おじさんとも話したのですが、たぶん生きるのは無理だろうとの感じで

親猫がいるので親猫と一緒にいたのですが目は飛び出し、移動はするらしいけれど

目はやはり失明しているのか見えていないようでした。

そして次に会ったのは22日でした、この時の写真は加工していたのですが

その子だと判明したので掲載します。

f:id:giinggaggiinnga:20190913142849j:plain

ガスがたまり膨れ上がっていたので、亡くなったのは最後に会った日か、その翌日でしょう。

この時、風船の猫か何かだとも思いました。

指先でつつくと正常の猫の弾力とは違い。パンパンに膨らんだ風船を

押しているような感触でした。

鼻を近づけて初めて猫さんだと確信したのです。

 

これも自然淘汰の流れの一つだと思わないといけないと思っています。

一生懸命、今を生きるのが大事であり、色々な思いに捉われていては

生きている意味さえ虚しくなります。

 

僕自身自然に身を任せたいので、この過ぎた時間も極自然に受け止めたい。

自然の中で生きると言う事は死もまた自然であり

無理にそれを変えるよりは自然に任す選択をしたいものです。

そうでないと後悔だけの人生になると思うからです。

それは人の命も同様で、後悔する人生は送らない方がベターです。

あの時こうすれば良かったとか考えるより今どうすべきかで考え

今した事を悔いるなら始めから何もしない方が良いと言う考え方です。

 

この猫さんはもう居ないのだけど、これはこれで自然な流れだったと思います。

僕らは宇宙の一部に過ぎなくて、宇宙の細胞の一つのようなものです。

例え人生が短くとも長くとも存在理由はちゃんとあると思います。

宇宙の構成の一部はどれか一つ欠けても成立しません。

死ぬことは欠けると言う意味ではなく構成の一つとしての

役割を果たしたと考えるべきです。

 

人の細胞だって毎日何万もの細胞が死ぬわけですし

命が存続するのも、そうした細胞の生と死によって培われています。

大きな目で見ると宇宙も星の誕生や死を繰り返し

生命も同様の繰り返しですから、現在の医療などは

不自然な時間の流れにあるのかも知れませんね。

当たり前に自然に死に行くのが自然の摂理の様に感じます。

 

猫だけでなく生き物全て愛せるようになりたいですね。

膨大な流れの時間の中で僕らが接する生き物たちは

瞬間程度の時間の長さです。

100年もまた天文学的には刹那程度の短い永さでしょうね。

 

明日の事より今を大切にしましょう。