猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

芸術性のない僕にとってのカメラ

美術もわからなく、芸術そのものが何なのかわからない僕がカメラを持って

シャッターを切るのは作文と小説くらいの違いがあるんだろうね。

作文なら思いついた事を単純に書くだけでいい。

その程度のものが、そのまま写真になってるのだと思う。

芸術性を兼ね備えた人ならば小説のようにストーリー性があって

写真にしても構図だとか背景に至るまで見通してシャッター切るのでしょうね。

僕の場合、作文だとしても小学校低学年程度のものしか書けそうにないので

それはきっとシャッター切ってもそのままそれが絵になるんだろうなあ。

2008年までは仕事の休みの日だけカメラを持ち子供の写真ばかり撮っていた。

2008年からは自転車通勤一時間の退屈しのぎに365日カメラを持ち歩いていた。

撮る事が無くてもカメラを持ち歩くのは習慣だったし、携帯と同じで

持っていないと落ち着かないそんな感じでした。

コンデジが好きなのはその加減もあります。

2017年に仕事に行く時は自転車通勤辞めてマイカー通勤に切り替えても

やはりカメラは持ち歩いていました。

シャッター切る日は殆どないのに携帯を持つのと同じ感覚です。

電話するわけでもないのに携帯を持つのと同じですね。

以前の仕事辞めてからは、職探しにハローワーク行く道のりを

やはりカメラを持参して行ったものだ。

 

現在は猫さんロードにやはりカメラを持ち歩いているのだ

以前と違うのは毎日シャッター切るようになった。

過去にもウォーキングで持ち歩いて色々写真は撮ったけれど

ウォーキングコースも撮り過ぎて撮るものが無い

感動も失せてしまうよねえ、どこを見ても見飽きてね。

そして今もそれと似た感じです。

毎日同じように猫さん撮っていると

見飽きてしまって、同じものを同じ様に撮ると言うのが

感動を失うの原因なのかな?

 

ここで芸術性と言うか、その感性があれば

同じものを違う角度で撮り直す事も出来るはずなんだけどね

僕にはそれが大きく欠けているから

少しジレンマ、マンネリ化

ちょっとため息ものだ。

 

それなのに新しいカメラを持ってしまうのは何故だろう?